世襲議員のなにが悪いのだろうか:再考

数年前にこんなエントリーを書いていたことをふと思い出した。
世襲議員をどんな理由で規制するのか?http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi20090417#p1

世襲議員批判というのは民主党政権にかわる前あたりにブームだった。それで民主党が人気を得た部分も多い。そのとき少し思考実験をしたのだが、世襲自体に問題があるようには思えなかった。むしろ世襲自体にな政治的コストを削減する動きがある。ただの一般名称に近い世襲議員批判はイメージ批判に近い。

もちろん「何を具体的に世襲」したかが問題にはなるだろう。だが、それは世襲議員ではなくても、バックに利害組織ー労組、宗教団体、企業などーがある政治家にも等しく類似の問題が発生するだろう。世襲議員の「世襲」だけに絞る批判というのは、まあ、自民党批判としてはもつともお手軽の印象批判。

世襲がいけない=政治資源の継承はまずい、と断定するならば、同じように特定縁故社会や特定組織、特定宗教団体、特定イデオロギーすべてからの政治的資源の継承も規制しないと「公平」ではない。そしてそれは単にこの世襲批判が、中味すかすかの印象批判でしかないことを立証するに十分だ。

世襲批判よりも「何が世襲されたときに国民の生活にとってまずいのか」という視点としては、以下のエントリーで言及した原田泰さんの論説がまとまっている。
政治の流通革命http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi20080810#p3

原田さんの最近著『ベーシックインカム』もこの議論の延長である。