某媒体にかなり前に寄稿したものの草稿。
日本の20年にも及ぶ長期停滞はなぜ生じたのだろうか。そして長期停滞から脱出するためにはどうしたらいいだろうか。この難問をきわめて単純な比喩で説明したのが、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン(プリンストン大学教授)の「子守協同組合」モデルだ。クルーグマンの話は子どものいる夫婦が何百人か集まって、自分たちが用事(夫婦のデートや買い物や緊急の用などなど)があるときに一晩子どもを他の家族が面倒をみるという「協同組合」を立ち上げたというものだ。これは現実のエピソードをもとにしている。
この子守協同組合のユニークな点はクーポンを組合員に配り、子守をしてもらう人が子守をする人にクーポンを手渡すというシステムを開発したことにある。このクーポンのおかげで外出することが多いときにクーポンを多く使い、他方で外出することが少ない時期には少しクーポンを多く貯めるために子守をすることが可能になった。
ところがこのクーポンシステムはうまくいかなくなってしまう。組合員の多くがよりクーポンを増やしたいと思うようになり、クーポンを使う人たちをはるかに上回ってしまったのである。そして子守協同組合の活動は「停滞」してしまった。
この状況は簡単に経済の話題に読み替えることができる。クーポンをより多く持ちたいと願った人は、実は老後が不安でより多く貯蓄している人や、経済の先行きが不透明なので消費を手控えている人とまったく同じだ。彼らも将来の必要に備えて現在の消費を控え、せっせと現金を手元にためこんでいるといえる。その反対にクーポンをより多く使いたい人は、一種の子育てに投資をしている人とも考えられる。同じように、経済全体をかんがえてみると、それは投資をする人よりも貯蓄をする人がはるかに上回ってしまうために経済が停滞していると言い換えることができるだろう。
では、子守協同組合が停滞から抜け出す方法はあるだろうか。答えは簡単だ。クーポンの配布量を増やせばよい。組合員カップルは手持ちのクーポンの数が増えたのでこれで溜め込もうとする動機が緩和して、以前よりも外出してクーポンを利用するようになる。子守協同組合は「停滞」から抜け出ることに成功した。これは現実の経済では貨幣の流通量を増やして、人々が貯蓄を減少させ投資を増加させることと同じである。
クルーグマンはさらにこの「停滞」シナリオにひねりを加えて、日本のゼロ金利を伴うような「長期停滞」の話も作った。今度はこうだ。手持ちのクーポン以上に将来外出したいと思うようなときに、子守協同組合の方でクーポンを一定の利子(クーポン単位で計る)をつけて貸すというシステムが採用されていると考えたのだ。
たとえばあるカップルはいま手持ちのクーポンの数は10枚だが、将来12枚必要になるかもしれない。このとき以前のシステムだとこのカップルは外出を控えて他のカップルが子守を依頼してくれるのをひたすら待つことが将来のクーポンの必要をみたすためのただひとつの対処方法だった。しかしいまではその追加の2枚を組合が貸してくれるのである。この2枚のクーポンの返済は将来の子守で払うことになる。と同時に先ほどいったように「利子」をつけて払わなければならない。ちょっと高額の利子だが2枚借りたら1枚上乗せして返すとか。
さてこのような「利子」の大きさを増減することで組合は子守協同組合のやりくりをコントロールできることを知った。たとえば子守をしたいカップルが急増したとすると、このままではみんなクーポンをせっせと溜め込もうとする。そこで組合ではクーポンを借りる条件を緩める(利子を下げる)。そうなるとカップルたちはクーポンを溜め込むのではなく外出してよそのカップルに子どもを預けることをしやすくなるだろう。これはもちろん不景気のときに中央銀行が金融緩和をする(利子を下げる)ことと同じだ。子守をお願いしたいカップルが多い場合はこの逆で利子を上げればいい。
ところが将来、長期間にわたって外出する予定があるカップルが激増したとしよう。例えば一カ月先とかに一月以上の海外に夫婦ででかけてしまい、その間は子守をお願いするケース(日本ではめずらしいけど海外とかではわりとある)。そうなると彼らは手持ちのクーポンをできるだけ増やそうとするだろう。組合の方は「利子」をどんどん下げて彼らにクーポンを溜め込ませないようにしようとするが全然効果が無い。やがて借りる条件の緩和にも限界がきてしまう。これが「ゼロ金利」の状態である。これをまたまた日本経済にあてはめると、今度は並の停滞ではなく、まさに失われた20年級の「長期停滞」である。
クルーグマンはこの状態を別名で「流動性の罠」と名づけた。子守協同組合も日本経済も困った事態になってしまった。20年前の経済の大きさと現在の大きさが同じ500兆円程度という悪夢が現出する。ところで日本経済がどうしてこんな長期間、お金を溜め込もうとしているかというとクルーグマンは高齢化が原因しているのではないか、といっている。各々のカップルが過度に貯蓄にコミットすることで、組合自体がいかれてしまう。これはテロにコミットすることで社会が不安定化してしまうことに似ている。こうなると通常の緩和政策では組合も日本経済も「長期停滞」から脱しようがない。
そこでクルーグマンが提案したのが「将来あなたの持っているクーポンの価値は減少しますよ」という方法だった。いませっせとクーポンを集めようとしているカップルたちのクーポンは自分達がそれを使う将来にはいまよりもがくんと価値が目減りしてしまう、と組合が宣告するのである。長期間もてばもつほどそのクーポンの将来の価値は目減りしてしまう。例えばいま一枚で一日の子守りを頼める権利なのだが、一月後にはそれは半日分にしかならない、さらに半年後には一時間分にしかならないですよ、と組合が宣告するのである。こうなると多くのカップルは予定を変更していまできるだけこのクーポンを使うことを選ぶだろう。
現実の経済に置き換えると将来にわたりインフレを起こし、クーポン(貨幣の価値)を減少させるから、いまそんなに現金を溜め込まずにせっせと使ったほうが賢明ですよ、と国民に伝えることに等しい。これがいわゆる日本の長期停滞脱出のためのインフレターゲット政策とよばれるものだ。
さてクルーグマンの長期停滞の説明を整理すると、1)長期停滞の原因は貨幣(クーポン)が足りないこと、2)しかもただ足りないだけではなくみんながその貨幣不足が長期間続くと思い込んでいること、3)だから長期停滞を脱出するには単に貨幣を増やすだけではなく、貨幣不足が解消するまで貨幣を増やし続けること、貨幣の価値が低下するまで増やし続けることを、貨幣を配る機関が公言することが重要だ、ということだ。
3)はインフレターゲット政策と一般にいわれているものだが、それは人々の「期待」に直接作用するものでなくてはいけない。例えば単に貨幣を増やすだけの政策(これは量的緩和政策といわれたりする)では不十分だということになる。
ところでこのクルーグマンの説明からすると、貨幣不足を解消する責任はどの「機関」にあるだろうか。日本の法律では、その役目は日本銀行にあると定められている。
その国または地域の通貨・紙幣を発行する銀行を、中央銀行と呼ぶ。なぜなら、通貨・紙幣を発行できるのは、日本銀行だからだ。通貨を発行する中央銀行はまた、その通貨の安定にも責任を負っている。日本銀行の行動を規定している日本銀行法は第二条ではその理念を、
「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」
と定めている。
貨幣が有り余っている状況を「インフレーション(インフレ)」といい、反対に貨幣が不足している状況を、「デフレーション(デフレ)」という。そして著しいインフレやデフレは日本の経済を混乱させ、弱体化させてしまうので、そうならないよう物価を適度な水準に保つことが、日本銀行の存在目的になっている。
このようなデフレが過度に継続すること(ちなみに0.1%のとか0.2%程度のデフレなんか大したことがない、という人がいるが、とんでもない主張だといっていい。問題はデフレが長期停滞をもたらしていることにあるからだ)を避けるために必要なことは積極的に行うべきだ、というのがクルーグマンの主張であり、僕もそれに全面的に賛成する。
しかし日本銀行はそのような主張に賛成していない。実はクルーグマンの「期待」に作用する政策を主張したのは、彼が初めてではない。日本銀行に対し一貫して、そのような期待に作用して物価の安定を目指し、日本経済の成長に貢献するように説いた人たちは昔からいた。例えば、岩田規久男(学習院大学教授)はその代表格だろう。また新保正二(元青山学院大学教授、1945年―2004年没)もそのような先駆者であろう。日本人は忘却の名人であり、新保の業績などもすぐに忘れられてしまう。
新保はデビュー作の『現代日本経済の解明』(東洋経済新報社、1979年)ですでに日本銀行の政策が長期停滞を招くものであることを喝破していた。当時は第一次石油ショックのときの過度なインフレを経験し、さらに失業の長期化など「スタグフレーション」が話題になっていた時代だ。新保はこの画期的な著作の中で、1970年代の長期停滞(スタグフレーション)は、経済政策の失敗が招いたものであること、その主因は日本銀行の政策のミスであることを明確に指摘した。特に1973、4年のいわゆる「狂乱インフレ」は日本銀行が過大な貨幣供給を行ったことにあるとした。なんで過大な貨幣供給を行ってしまうのか? それは簡単にいえば、日本銀行が人々の期待のあり方を無視しているからだ、というのが新保の説明の核心だ。経済の活動が停滞しているので貨幣供給で刺激する。ところが人々はすでに貨幣不足の状況から抜け出てもまだ同じように貨幣供給を続けてしまう。そのような日本銀行の姿勢が変化しないことを「期待」してしまった人々は、インフレ期待を形成し、さらに物価は上昇していく。このような累積的な物価上昇は、日本銀行の期待の無視によると新保は断じている。代わって新保が提案するのは、先のクルーグマンのインフレターゲット政策とまったく同じな名目成長率政策だ。これは一定のインフレ率と実質成長率(日本経済の潜在体力そのものといっていい)を足したもので、これを守ることに日本銀行が積極的にコミットすれば、スタグフレーションに陥らないと彼は提起した。まさに卓見である。新保の業績は、日本の経済学の歴史を展望したテッサ・モーリス・鈴木の『日本の経済思想』(岩波書店)でもこの時期の代表的な業績として評価されている。
さてこのような新保の指摘の通りに日本銀行の政策がむかうことはなかった。例えば、バブル経済さ中に出版された『生きた日本経済入門』(日本経済新聞社、1988年)では、「日本経済はデフレの時代に入りつつあるか?」という今では非常に象徴的な意味をもつ章の中で、新保は「現在必要な政策は、第一に、積極的な減税と規制緩和によって内需を拡大すること、第二に、4~5%程度の名目成長率をもたらす適切なマネーサプライ増加率を安定的に維持することである」と書いている。
しかし新保の要望を日本銀行が参考にすることはなかった。バブル経済は、日本銀行が過剰なマネーサプライの「拡大」を招いたことで生じ、さらにその崩壊とそれ以後の景気後退の長期化も日本銀行の過剰なマネーサプライの「縮小」で生じていると、新保は批判することになる(『第三の開国を目指す日本経済』(東洋経済新報社、1994年)。
バブル崩壊以後、21世紀に入ってからも続く長期停滞の原因も日本銀行が名目成長率の安定化をはかれなかったこと、言い換えると人々の期待をうまくコントロールできなかったことにある、と新保は亡くなる直前まで主張し続けた(『日本経済失敗の本質』(日本経済新聞社、2001年)、『デフレの罠をうち破れ』(中央公論新社、2002年)など)。
冒頭のクルーグマンのように海外からも新保と同じ主張で日本銀行の政策を批判するものたちが大勢現れた。しかし日本銀行の政策は依然として変わらない。なぜだろうか? それについて新保は、日本の共同体主義=お仲間の合意中心主義ゆえに、意思決定を行えない。ために前例踏襲が続いていると指摘している。おそらくそうだろう。新保のような経済学者の声は残念ながらいまも黙殺され続けている。しかし本当に黙殺されているのは国民の声なのではないか。日本銀行の政策を考えるたびに私はそう確信している。