『世界史の構造』を読むー『atプラス』06号

 頂戴しました。ありがとうございます。前号については悪態の限りをつくしました 笑。さて、今回の号ですが、柄谷行人氏の『世界史の構造』を雑誌の過半を使って大特集しています。

 しかし御存じのように僕は思想系は、マンガとアニメ、あるいは経済学に関係するものしか思想的なものには反応できない体質ですので、この柄谷氏の大著も存在を知っている程度で読んでません。

 だけど、今回の僕のツボはありました! それは毎回巻頭を飾る岡崎乾二郎氏の「<活動>へのアート」です。岡崎氏はそこで古賀春江の作品世界をフロイト精神分析の枠組みで解釈しています。一種の謎解きとして。古賀春江の展覧会がいま開催中ですが、それを近々見に行きたい僕にはとても興味深い内容です。

 例えば古賀の作品「海」は著名です。展覧会ではこの「海」の原典が同時に展示されているそうです。そこで岡崎氏な謎に直面します。

 この「海」は展示会では絵葉書が原典であると紹介されていたらしいですが、岡崎氏はさらにこの絵葉書にも原典になる映画の存在があると指摘します。その絵葉書にも掲載されているのですが、この映画のスチール写真はある意味で「海」よりシュ―ルだと岡崎氏がいっているように、モーターボートを運転するのは犬、そして女優(グロリア・スワンソン)の組み合わせです。この犬は当時の「名優」キーストーン・テディだそうで、この映画自体はスワンソンが主役ではなく、まさにモーターボートを操るこのテディが中心だったそうです。

 ところで古賀の「海」にはなぜかこの犬が描かれていない。ある意味でシュルレアリスムの作品「海」よりもこのスチール写真(と絵ハガキ)の方が犬の存在ゆえにさらにシュールなのに、なぜか犬は不在である。

 しかも古賀にとって犬は晩年の神経を病んだ生活でもとても大事なパートナーであったはずだ。そもそも晩年の古賀の絵には、犬(説明は端折りますが、牛もそうなのですが)が、描かれているのかいないのかわからないような絵が存在している。これはいったい何ゆえか? と岡崎氏は追及していきます。

 ここらへんの謎解きはフロイト理論を利用して解き明かしているのですが、この「海」における犬の抹消、古賀における犬や牛という存在(現実)がもった意味の変容は、読んでいると面白いかぎりです。このエッセイだけで今回の雑誌はお釣りがくるでしょう。

atプラス 06

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