さらば宇宙戦艦ヤマト1978年8月5日

さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の上映日は78年8月5日。僕はその日、川越市内の駅を始発にのって池袋の上映館に向かった。なぜ始発電車にしたのか記憶がもうないのだが、ネットのない当時では、「この映画がとてもヒットするのではないか」という予感ゆえの行動だったに違いない。

実際に池袋駅に始発電車がつくなり、僕と同年代ぐらいの男の子たちがばらばらと猛烈にダッシュして映画館の方向(たぶん)に向かっていった。僕は焦ったw そして川越に住んでいることと、また川越でこの映画をみれないことを呪った

池袋の上映館はすでに若い男女(僕もだ)が列をつくり、係員はあとから来たものを近くの公園で列をつくり待つように指示した。まだ時間は6時台だったと思う。上映開始まで3、4時間はあった。その公園はいまはもう存在しないが、そこで僕らが列をつくり1、2時間ほど待ったころ、“彼”はやってきた

当時の彼はいま思えば40代前半でいまの僕より年下になるのだが、夏のくそ暑い日の予感がすでにしているなか、彼はスーツを脇にしてワイシャツ姿で、公園に並ぶ人々の列を遠くから見ていた。そのときの彼の表情は遠目にもわかったが、まさに“勝利者”の笑みをたたえていたと思う。

映画は上映を繰り上げて始まった。映画自体は僕には最後がどうしても納得できなかった。唐突に皆死んでいき、遠くの閃光(特攻)でけりがついてしまうなど、虚をつかれた感じがした。しかしさらなる衝撃が待っていた。僕の前後左右からラストシーンと最後の沢田研二の歌にかぶさりある音が聞こえたのだ

その音は、周囲の若い連中(男も女も)のすすり泣きの声だ! 僕は映画の数倍驚いた。“アニメに感動して泣いている!!!!!!”。それまでのアニメ、特にヤマトのような戦闘もので泣くとは! これは僕にとってまさに歴史的な衝撃だった。たった、たった、クララがたった

おそらく日本のオタクも日本の腐女子もみんなあのヤマトの涙から始まったに違いない。僕はそう思う。戦闘アニメで泣く、これが日本のサブカルの発進だ。新しいニュータイプの誕生だ。

たぶん西崎氏のあの公開初日に公園で列をなす若者たちの姿をみたときの勝利者の笑みは、この映画館の中で展開された「日本のおたく、腐女子の誕生の涙」をみてのものではない。単に営業の成功をみてのことだったのかもしれない。それはその後無残に展開されたヤマトシリーズをみてもわかるだろう

 しかしその勝利者の笑みの真意がどのようなものであれ、僕はやはりあの映画をみれたことではなく、僕の周囲で展開された、日本のそれまでの文化になかったか、潜在していて見えなかったものを、明らかにしてくれた、その場に居合わせた幸運を前からも今も感謝している。ご冥福を祈りたい。