デフレ脱却前後の政治過程

 id:Baatarismさんの最新のエントリーを読んで、日本が戦前にデフレ脱却をそのどのように遂げたかを、いくつかの歴史的な資料をもとに紹介する。以下は主に『平成大停滞と昭和恐慌』と「不謹慎な経済学」から。

 デフレ克服は極めて短期間で実現した。一九三〇年代の日米の物価水準をみると、物価水準の底から対前年比±〇%に相当する水準に上昇するまでに要した期間は、日本では十一ヶ月、米国では七ヶ月と両国とも一年かかっていない。

 三〇年代の世界大恐慌の株式市場に対するインプリケーションの一つは、ほとんどの国で株価指数の上昇と物価指数の上昇がほぼ同時に実現した点である。もちろん、日本もその例外ではなかった(図表参照)。


図:デフレ脱出時の日本の株価動向
出所:明治以降本邦主要経済統計(日銀)、経済統計年鑑(東洋経済新報社


 ちなみに、他国の世界大恐慌前後(一九二八年〜一九三六年)にかけての株価と物価の相関係数を求めると、米国が〇.九五、イギリスが〇.五六、フランスが〇.九三、ドイツが〇.九一、イタリアが〇.九一、ベルギーが〇.九八と各国ともデフレと株価の相関関係は極めて高い。そして、デフレからの脱出は金本位制を放棄した後、極めて積極的な金融緩和政策が実施されたことで可能になったことは言うまでもない。

 ところで図ではいわゆる「二段階のレジーム転換」が描かれている。最初は金本位制停止からのデフレ脱出、そして日銀の国債引き受けによる二段階目のデフレ脱出だ。この一段階目ではたちまち物価は再低下、株価も下落し、また失業率は急増していた。

 これらを背景にして、五・一五事件が勃発した。このテロを契機にして、急速に政府と日本銀行の間で、協調的な緩和政策の枠組みが協議され、やがて実行に移される。

 ここがテロが契機になってしまった戦前の不幸だ。日本もいまは株価や為替高、そして失業率の高止まりと不安定さは増している。テロリズムと不況は必ずしも相関はしないと思う。また戦前のように日本は大陸進出をしているコントロールが難しい軍部も存在していない。しかし失業率が6%台にいけば、社会不安は不可避ではないだろうか。少なくとも政府はそれだけの緊張感をもってほしい。