ポール・クルーグマンのリチャード・クー批判

 クルーグマン氏のク―批判を道草http://econdays.net/?p=714で読んだけど、クルーグマン氏はク―氏がなぜ危機後の状況では、家計や企業のバランスシートに実質利子率が無関係になるのか理解できない、と書いている。

 長年のク―氏との論争の経験を踏まえれば、危機後の家計や企業のバランスシートに関係する名目的要因は、実質利子率(名目利子率マイナス期待インフレ率)のそれぞれの要因ではない。バランスシートに影響を与えるのは資産価格(個々の主体が保有する株価)だけ。

 企業も家計も保有する資産価格の低下に焦り、どんどん資産の投げ売りをするという行動に強く制約されている。これは好意的にみれば、一種の認知バイアスで人々が行動しているともいえる。

この認知バイアスの強さは只者ではない(とク―氏は説明するわけ)。例えば彼はこう書いている。「借金地獄を一回経験した経営者は「二度と借金なんかするものか」という気持ち(借金拒絶症)になってしまうことである」。バランスシートの毀損を経験した経営者には「二度とお金を借りたがらない」。

 このような強固な認知バイアスの前では、日本銀行のあらゆる政策は無効である、というのがク―氏の基本的な説明である。

 この強度の認知バイアスが前提にされてしまっているので、例えば僕が負債デフレ効果(一般物価水準の低下による実質負債増加)をなぜみないのだ? という批判にも、ク―氏は「そのような実質と名目の峻別は現実ではない」として、もっぱら負債の名目額の多寡が借金恐怖症に重要だという発言と整合的

クルーグマン氏が道草のブログの最後に、インフレによる負債の逓減を書いているが、そのような世界は、いま説明したように、ク―氏のバランスシート不況の世界(認知バイアスの世界)では、バイアスゆえに主体の関心外である。

簡単にいうと、ク―の経済学では、危機になると、いや長期不況になるとだが、人はあまりにも長く非合理的に行動する、というわけである。でも財政政策だけは効果がある。おそらく政府の宣伝の方が中央銀行の宣伝よりも効果があるということだろう。これをク―バイアスとでもいおうか。実際にほぼ無条件に、現在の日本では政府の投資減税が効果があるとされている。

 もちろんク―氏の議論を好意的に理解すれば、以上のような「認知バイアス」理論ということになる(それが正しいかというと国民の過半が異常行動を20年とり続けるというのはなはだ変だけど)。好意的にとらなければクルーグマンのように、ク―氏の議論はなぜか理由もなく、金融政策だけをなぜか排除し、財政政策の効果だけバランスシートの改善に効果があるように解釈できるだろう。

いままでのクー・田中論争(!)の経過

 田中によるクー氏の『デフレとバランスシート不況の経済学』への批判(『経済論戦の読み方』、『エコノミストミシュラン』)

 クー氏による田中上記著作への反論(『「陰」と「陽」の経済学)

 田中によるクー氏上記著作への反論(『不謹慎な経済学』)

 クー氏による田中上記著作への反論(『日本経済を襲う二つの波』)

The Holy Grail of Macroeconomics: Lessons from JapanÂs Great Recession

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