渋滞、投資、バブル

 ちょっとした依頼で渋滞について経済学ぽく考えた(ぽい、に強調)。特に高速道の渋滞。日常的にも利用しているので経験値は豊富であるw。以前、柳川範之氏らの『経済の考え方がわかる本』(岩波書店)で、やはり渋滞の高速道路の話題がでてきて、どの道を走るのが最適か、ということが説明されていた。「裁定の法則」が利用されていて、空いている車線があったとしても、その空いている方にどんどん車がいくことで、結局、どの車線を走ってもみな同じくらい渋滞してしまう、ということが書いてあったと記憶している(あとで要確認)。

経済の考え方がわかる本 (岩波ジュニア新書)

経済の考え方がわかる本 (岩波ジュニア新書)

 この柳川氏らの説明は、渋滞を投資機会のアナロジーで説明していて興味深い。同様な分析を確か米国のどこかの入門書でも読んだ(なんでかは忘れたのでご存じの人は教えてほしい)。ネットでは安田洋祐氏が同様な指摘をしているのを読んだ。柳川氏らの本で書かれている分析を僕なりに勝手に解釈すると、投資機会というのは事実上、空間の選択の余地に等しいだろう。

 高速道を走っていて渋滞しいているときに気がつく現象というのは、1)三車線の場合は真ん中の走行車線が「わりと」スムーズ、2)空いている車線だけ狙って針路変更をそのたびに繰り返しているよりも、長期的に同じ車線を走っていた方がスムーズ、3)がちがちの渋滞に陥るときは例外として、ほどほどの混雑のときはできるだけ車間距離をあけて速度を抑えめで走るのが運転が楽 4)渋滞表示が出て、その表示の内容が「この先、渋滞1キロ」とあった場合、まだそれほどの渋滞ではないと思いあわてて渋滞個所に殺到すると渋滞がなぜか激化している 5)平日の渋滞はその渋滞の発生個所とその渋滞表示の確認地点との距離によっては4)とは逆にのんびり渋滞地点に至ると渋滞がなぜか解消していることが多いetc

 1)は真ん中の車線を走るということは追い抜き車線と路肩側の車線の両方に空間選択の機会があること、3)はそれを同一車線のときに前後の車間距離という空間選択の機会に置き換えたことにほぼ等しい、1)と3)はいわば空間を利用した分散投資で渋滞をできるだけ回避しようとしていることになるだろう。例えば3)のような走行は渋滞回避の手法として『渋滞学』の著者西成活裕氏も推奨している。

渋滞学 (新潮選書)

渋滞学 (新潮選書)

 2)は柳川氏らの本そのままともいえる「裁定の法則」のアナロジーである。また短期的な投資スタンスよりも長期的な投資スタンスが渋滞回避にかなっているとも表現できるだろう。

 4)はいわば「バブル」(バブル崩壊?)的な現象を示しているかもしれない。人々は「渋滞1キロ」という表示をみて、いまから急げばまだそれほど渋滞しないうちに渋滞個所を抜け出すことができる、と予測する。そしてその予測にしたがって渋滞個所に向かってスピードをあげる。ところが同じような予測を多くのドライバーがしてしまうことで、渋滞個所に着くころには渋滞は激化してしまう。

 例えば高速道の渋滞に「ファンダメンタルな価値」があったとしよう。これは(渋滞表示を確認した)地点からその渋滞個所に到達する予測時間のときに実現されているだろう渋滞の度合い(の現在価値)を意味しているとしよう。

 4)のケースでは、渋滞の「ファンダメンタルな価値」よりも低い価格が継続することをドライバーが予測しているケースとして考えられるのではないか。渋滞個所に急げば急ぐほど低い価格(渋滞価格w)で手に入ると期待してどんどん投資をエスカレート(急いでアクセルをふかす)していく。多くのドライバーがそのように考えてしまうと渋滞価格のバブルが膨張していく*1。そして渋滞個所につくころにはその渋滞バブルはピークを迎えていて、まさにバブルは崩壊してしまう(激しい現実の渋滞にまきこまれる)。これは一種の合理的投機バブルに似た現象かもしれない 5)はいわばそういった「バブル」回避方法であろう。西成氏も類似した渋滞回避方法を推奨している。

 まあ、そんなことを思ったが、みなさんはどう考えるだろうか?

*1:日本語で「膨張」と書くと渋滞価格が上昇していくようなイメージだが、ここでは本文のようにファンダメンタルな価値から価格が低めにどんどんすすむことをもって「膨張」と表現していることに注意されたい