ペ・ドゥナ『ソウル遊び』部分訳

 韓国からの留学生に協力してもらってペ・ドゥナの写真エッセイ集三部作の最後『ソウル遊び』(2008年)を重要個所だけ訳出。『ユリイカ』のペ・ドゥナ本に寄稿したんだけどこの写真集には十分に触れることができなかった。第1作の『ロンドン遊び』については、論説のなかで触れた以上のことはない。『東京遊び』は、ペ・ドゥナがなぜ東京を好きになっていったかの経緯が書かれている。特に恋人に会いに大坂にいったこと。そのときの重苦しい印象が何度も日本を訪れるにしたがって溶解していく経緯と、ひとりのちょっと贅沢な旅行者の視点が重なってエッセイが書かれていた。

 そして最新作の『ソウル遊び』では、旅行者から生活者としての視点の移動があり、この写真エッセイ集自体の性格が大幅に変容している。それはソウルという都市に刻み込まれたひとりの女性ー豊かな人間関係に恵まれたーの挑戦の記録として読解できる。以下の引用文の最後にある数字は原著の頁数である。

長いので「続く」以降にあり。訳文は固いけどブログ用なので許してください。


プロローグ

記憶とは
一つ一つ集めておいた
忘れがたい
私が生きてきた日々の絵
その記憶の絵を写真に撮り直す作業

実を言うと…はじめから大変だった

私が生きてきた記憶の中のソウルを遊ぶことは…
あまりにも簡単に考えていた
旅とは遊びだからと気楽にシャッターを切っていた私にとって
拠り所であるソウルは一カット一カットが注意深く、慎重になってしまい負担が大きかった

大切で特別なものを扱うにはもっと大胆な度胸がいる

私が出た映画を映画館に行ってみるときは他の人のように客観的に見れない
私が愛して特別に思っているソウルを遊ぶということは
ロンドンや東京を眺めるときのような気楽な遊びではなかった

ソウルをどこよりもかっこよく撮りたくて、私の心を入れて撮りたい欲望のせいで
海外旅行のような旅のスタイルとは違い
私の日常であるソウルでは、むしろ旅をしようと考えおすことで少し気が楽になった
旅人の目で新たなソウルと出会って
また私が過ごしたソウルという空間での昔の記憶を思い出し
私のとるにたらないソウルでの日常を撮ってみた

海外旅行の帰りの飛行機の中でソウルを見下ろす時感じた、ときめきと嬉しさ
戻ってきて休める私の空間の暖かさと気楽さを写真に残したかった
奥の奥まで暴いてその神秘を極めたくなるほど慈しむソウル
私がソウルを真剣にカメラに写した5ヶ月間の旅は
私にまたひとつの思い出と自覚を与えた
ソウルをじっくり眺めてみたら、その中にいる私自身のことがもっと見えてくる気がした

私は写真を趣味にしている女優だ
物を愛情のこもった目で見るカメラの目のように…
映画を深い目で見る本当の女優になりたいと思う

「ソウル遊び」は私の目の深さをちょっとだけより深いものにしてくれたと信じている

記憶とは、目に見える今よりも深くしっとりしてべたべたするものだ
「ソウル遊び」にはそんな気持ちをいれたかった

ペ・ドゥナ(14-17頁)

私は朝型人間だ
朝遅くまで寝るのが嫌で、寝る前にカーテンを開けて日差しが入るようにして寝る
眩しくて寝坊できないように、いつかからか日が照っているのがもったいなくなった。これは写真が好きになってからだと思う
「写真は光の芸術だ」というほど光線はとても重要だから、太陽が昇っていて体も心も気持ち良く過ごせる。感性あふれる夜は寝てしまうのが私の憂鬱な気分を解消するのに役立つ。
朝起きて汗を情熱的にかきながら掃除をしてからシャワーをする。そしてやっと一日が始まる。
掃除は運動を嫌う私にとってはとてもいい運動になる。壁に囲まれてフィットネスでランニングするより、掃除機をまわし、雑巾をかけ、皿洗いをすることが私には楽しいこと(31頁)

ドゥナ名言集より

ソウルは好きだけど、撮りにくい
「最近は写真が撮りにくい。ソウルを違う角度で撮るってどういうことだろう?
 写真をうまく撮りたくて写真集をみてしまうとまずます写真を撮ることが難しくなってしまう。
 写真を見る目は磨かれるけど実力はそのままだから」

ソウルが好きな理由
 「母、父、セミに毎日会えるし、
  サンダギリ食堂でおいしいサンギヨッサルも食べられるし、
 一人でどこでも行けるし
 何よりきれいな漢江があるから」
 「ある本で読んだんだけど、
 好きなことは職業にしてはいけないんだって。
 趣味が仕事になるとろくに楽しめなくなるんだって。
 私は写真を絶対に仕事にしないで趣味を楽しみたい。
 ところで不思議でしょ? 私は演技が好きなのに
 それを仕事にして幸せなんだから」

ドラマをみない理由
 「私は女優なのに映画をみない、特にドラマは全然みない。
 休みのときドラマをみると仕事がしたくてたまらなくなるから…」

ドゥナの長所と短所
 「私の長所は魅力的な人の長所をよく吸収することだ。
 私は本を読むときも最初から最後まで読まないで、
 母が線をひいたところだけを読む。他人のエキスを吸うの」

 「じゃあ、短所は?」
 「魅力的ではない人が全然思いだせないこと」

母の言葉
 「うちの母はいつも言うの、ささいな称賛の言葉に動揺しないこと、
 大きな非難に心を痛めないこと」

(44-45頁)

感動は私の力
 「みんなはかわいいって言うけど
 私はとってもとってもかわいーいって言っちゃうの。
 外部の刺激を私は他の人より大きく感じるみたい。
 綺麗な被写体があると
 とってもきれいなので写真にしたいの。ささやかなことに
 感動すると女優として長所になりそう。
 どんな刺激に対しても人より極端に嬉しく思ったり、悲しく思ったり、
 綺麗だなあ、と感じちゃうの、演技をする時も少しだけの悲しい感情を極大化して
 とっても悲しく泣ける」

女優だからいい
 「私と道で会うとみんな指をさして私に聞こえんばかりに「あの女がペ・ドゥナなの?」
 「ペ・ドゥナに似ている」と大きな声で言う時がある。
 「実物の方がもっときれいね」「写真の方が可愛い」と言いながら私を見る。
 ある人は私の顔の30センチもしないところまで顔を近づける時もあるし、
 撮らないふりをして私を撮る人もいる。
 女優になって不便なことも多いが私はずべての不便をものともしないぐらい
 それくらい女優が好きなの」

(48-49頁)


 残りは明日。