ロバート・マルサス『人口論』

マルサス人口論』(初版、1798年

 人間は必ず死ぬ。生きる時間が有限であり、その終着点に希望がないことが、かえって人間の生活を幸福にさえするのだ。マルサスの人間観というのは一言でいえばこう要約することができる。今日、人口法則の名称で有名なマルサスは、他方で安易な啓蒙思想、人間の完成可能性に冷水を浴びせたことで、経済思想の歴史の中で孤絶とでもいっていい地位を占めている。
 マルサスの反啓蒙的な立場が際立っているのが、その天才的な処女作『人口論』であるのは言うまでもない。マルサスは個々の人間の将来の絶望ゆえの幸福とでもいう「逆説」を、人類全体に適用した。彼は人類の特徴のうち二点にまず注目する。ひとつは人間の生存に食物の摂取が必要であること、もう一つは男女の性的な欲望が非常に強いことである。この公準を前提にすると、マルサス人間性の改善や生活の豊かさが続くことは想定できないと指摘した。
 まず性的の欲望の強さは、人口を増加させる。この増加は等比数列的なスピードであり、世界人口を10億とすれば、それは25年ごとに倍増し、その比率は1,2,4,8、‥‥となるだろう。それに対して土地からの農産物の収穫は次第に逓減していき、その収穫量は等差数列的なスピード(1,2,3,4、‥‥)でしか増加しないだろう。そうなると、人口の増加率が食糧の生産増加率を上回り、やがて人口を養うだけの食糧よりも、人口そのものの方が上回ってしまうだろう、とマルサスは指摘した。
 マルサスの予言は非常に悲観的なものであり、この人口を養えるだけの食糧生産の壁に、人口が突きあたるたびに、人類は「積極的制限」を採用していたという。それは死亡率の増加に顕著に示される。特にマルサスは社会の下層階級の状況に注目している。マルサスのいう人口の「積極的制限」とは、下層階級の子供たちが栄養不良、健康状態の不良などの困窮から早期に死亡してしまうことに特に注目したものである。対して「予防的制限」については、『人口論』の度重なる再版の過程で、記述が詳細にはなっていくが、この初版ではほとんど言及されていないに等しい。なおマルサスは「予防的制限」にとしては、性行為の自制、避妊、婚期を遅らせることなどを説いている。しかしこれらはあくまでも対処療法であり、マルサスは人口法則からくる「陰うつな予測」を基本的に修正することはなかった。
 さてマルサスの人口法則は、今日のワーキングプア問題を考えるときにもひとつの論点を提起しているといえる。マルサスは当時のイングランド救貧法の諸政策、さらには富裕な階級から貧困階級への所得再分配にも、それが貧しいものの状態をさらに悪化させると同時に、さらには国民全体の生活まで脅威になると説いた。

 例えば貧困階級への食糧援助を考えてみる。より多く食糧を得たことで貧困階級の人口が増加するだろう。そうすると以前よりも国民全員がより少ない食糧を分かち合わなければならなくなるだろう。つまり貧民の生活を改善することが、結局は貧民自身はもちろんのこと国民全体の生活の水準を押し下げてしまう。この点は『人口論』の初版から、彼の経済学的処女作である「食料高価論」(1800年)で、救貧を目指した食料援助が、食品の高価格をもたらすという議論に発展することになる。

 またマルサスは富裕な者から貧しい者へ再分配によって、それは勤労から他者への依存への再分配でもあるとも指摘している。貧しい者に所得を移転しても彼らは居酒屋で消費してしまい、国民全体の貯蓄を損なうだろう、というのがマルサスの所得分配論の核心であろう。この貧者への所得再分配が、勤労を損ない、貯蓄を減少させることで、経済成長を抑制するという議論は今日までなんらかの形で継続している議論のあり方である。

 このマルサスの『人口論』はアダム・スミスの経済成長論への反論を意図してもいた。マルサスによればスミスは一種の「トリックルダウン」理論を説いたとみなしている。つまり社会の富の増大が貧困階級の生活も改善するだろう、ということである。しかしそのような改善の可能性はないことはマルサスの人口法則の適用からすれば自明だろう。食料生産が一定ならば、富の増大は、貧困階級の人々の生活必需品や慰安品に対する購買力を低めてしまう、とマルサスは書いている。また工業化や商業化に対してもマルサスは悲観的である。工業化や商業化することが、労働を維持するための基金マルサスによればそれは農業生産物そのものだろう)は停滞するか減少してしまうだろう。農業に特化する国は人口の増加が速く、商業や工業に特化した国は人口が停滞的であるだろう。しかしどの特化のパターンであってもやがてマルサスの人口法則が適用されるかぎり、その結果は人類に「陰鬱な予測」を提供するものにしかすぎないのである。

 では冒頭に戻って、このような一種のディストピア的世界観の中で、マルサスはどんな幸福観を語りえたのだろうか。マルサスは悲惨な状況が刺激になることで社会的な共感や、自分を道徳的な害悪を削減しようという動機が芽生えると説いてるようだ。悪や悲惨あってこその善と幸福とでもいうべきなのだろう。今日、マルサスの人口法則はそのままの形では維持できない。また彼の所得再分配論やその人間観についても議論百出のままだともいえる。マルサスは他にも『経済学原理」で恐慌の理論を展開している。それは今日の長期停滞論の起源として返り見る必要があるだろう。それについてはまた機会を改めたい。

参考までに山形さんが英誌『エコノミスト』のかっちりしたマルサス論評を訳出しているのでご参考に

まちがった預言者マルサス
http://cruel.org/economist/economistmalthus.html

人口論 (中公文庫)

人口論 (中公文庫)