増田悦佐『東京「進化」論』

 すげえ! 増田さんが落ち着いた経済エッセイを書いた。まるで経済風味になった川本三郎四方田犬彦のような好エッセイ、いつもの増田節がまったく死滅したかのような落ち着いた大人の味に仕上がってますよ、旦那&マドモアゼル。

 本書は主に東京23区の注目すべき街をいくつかとりあげ、鉄道と文化との関連、居住者の特性(おじさんや若い女子の割合など)とその消費パターンの形成を、よくこれだけ無数の事例を集めたな、と感心するほどの多彩な内容となっている。おそらく本書でも大きく依拠している街ブログを情報ソースとして積極的に使ったためだろう、視線が増田さんのいつもの「上から目線」ではないことが、このエッセイ(というほど軽くはないがあえてこう本書は呼びたい)を読みやすいものにしている。

 しかーし! なんか増田主義的には物足りないのである。壮大な破たんと壮大なイケてるホラ話、そして玉石混交の中でギラリ(きらりではなく)光るするどすぎる分析眼という、増田節、増田イズムがかなり薄味になっているのが、なんかけしからん(笑)。

 例えば僕は本書では、下町国と山手国との国境の町として扱われている練馬区に住んでいる。本書でかなり大きく取り上げられている江古田はほとんど住んでいたのと同じだったし、石神井大泉学園にも長く住んでいる。雑司ヶ谷なんて学生の頃もいまも都電で早稲田大学にいくときの経路(たまには散歩ついでに歩く)である。しかし、なんかいまいち増田さんの分析が物足りない。例えば増田さんは江古田の街ブログと石神井大泉学園町の街ブログは断絶しているのは練馬区板橋区に対して文化的優越感があって団結して板橋区にあたる必要がないからである、といっている 笑。いや、練馬に住んで通算かれこれ20数年。正直いって板橋区に大してそのような住民感情をもったことはないでしょうw むしろ練馬区はあまりにも広大なんすよ。特に北と南、東と西どちらにも「国域」が大きい。例えば、いまは練馬高野台とかできたけれども、それ以前は、環状8号線の東と西では明らかに文化的な断絶があったもの。簡単にいうと時間の機会費用が大きい。江古田はむしろ中野なんかとわりと組みやすい位置にあってそんなところが「臨死 江古田ちゃん」なんかにも窺いしれるんじゃないのかな。実際に僕は中野文化圏と江古田との間を行き来しいてたし住んでたけどおんなじような「文化」感じてたもの。大泉学園石神井公園はどっちかというと年齢層たかめ。どちらとも吉祥寺と並ぶマンガ家や大学の先生たちの住居も多く、いわば江古田が「学生の街」ならば大泉学園石神井公園は「せんせいの街」でしょうねえ。もっと増田節ぽくいうと、江古田はマンガやサブカル消費の地であり、大泉や石神井は(スタジオは別かもしれないけど)マンガのベットタウンというか生産地というか。しかもこの両方の文化圏の間にまったく異なる総合都市(官僚的メガロポリス 笑)練馬があるもんだから、これも文化断絶の一因。ちなみに練馬の猥雑さの一部は江古田と直接つながり(歩いていけるし)。むしろ大泉学園とか石神井公園は埼玉とか吉祥寺とか西東京市とかと深いつながりのある「地方」都市ぽいんだよね。いいかえると江古田はガッツだせば池袋から徒歩で帰れるけどww、石神井・大泉はまあ無理だわね。江古田は池袋という豊島区「文化」圏の一部(しかも中野文化つながりでもある)で、石神井・大泉は吉祥寺的要素と埼玉的要素を両方もつある意味で田舎なんだよね。

 という感じで、本書は東京に住むものたちあるいはそれに深い関心をもつものたちに(いつもよりはかな〜り温度がは低下するものの)論議のネタを与えてくれるだろう。

(付記)もし増田さんがこれ見てたらいいたいことがひとつ。『日本型ヒーローが世界を救う!』を東洋経済で書評してからまさかの変転で、ある意味で増田さんのおかげで今年は、ついにマンガ論(今週でる『ユリイカ』)を書くということになりました。お会いしたことはないですがどうもありがとうございます(まあ、感謝されても困るでしょうけど 笑)。

東京「進化」論 伸びる街・変わる街・儲かる街 (朝日新書)

東京「進化」論 伸びる街・変わる街・儲かる街 (朝日新書)

今週でるユリイカは下。『マンガ論争勃発2』での発言とまあ基本的に同じ問題意識から出現したわけだけど中味は専門論文。題名は「静かな革命ーメビウス、日本マンガへの衝撃」というもの。