漸進的構造改革の説明

 昨日、長幸男氏の『石橋湛山の経済思想』で解説した漸進的構造改革についてですが、その昔、拙著『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)でも説明したことがありました。以下は、その新書そのものではないのですが、草稿の一部を貼り付けておきますのでご参考ください。誤記などがあるかもしれませんが修正はしていません。また漸進的構造改革は、このブログではここでも触れています。

漸進的構造改革とは?


 ところで構造改革は非常に時間のかかるものである。なぜなら構造問題の多くは利権集団による既得権益によって保護されており、その改革は難航するのが普通である。また慎重に進めないと、構造改革という美名の下にあらたな権益さえも発生しかねない。例えば国有化企業を民営化するときに、特定の集団や個人に企業を払い下げてしまえば、それは本来の構造改革に逆行する。
このように複雑な権益システムを紐解かなくてはいけないために、歴史的に成功した構造改革は長い時間をかけた漸進的な改革が多い。逆に早急なビックバン型構造改革は失敗することが多い。前者のケースは、最近の中国の経済改革や旧国鉄の民営化である。後者のケースはロシアの市場経済化や日本での財政構造改革である。もちろん時間をかけることで構造改革が阻害されることがないように世論とメディアの監視が求められるのはいうまでもないであろう。また中国の経済改革もいまだ甚大な不良債権問題や国営企業の解体などが課題として残っているし、旧国鉄の民営化でさえも国鉄時代の債務はいまだ膨大な額で残存している。いかに構造改革が難しい改革であるかを象徴しているだろう。
 このビックバン型構造改革と漸進的構造改革の違いをより詳しくみていこう。この両者の特徴を把握することが、日本のように制度が硬直化し、利権が複雑に絡むシステムを改革する上で重要であるからだ。図29には縦軸に成長産業のもたらす財・サービスの数量を横軸には衰退産業のもたらす

図29

財・サービスの数量を描いてある。A点、B点とも生産可能性曲線の上にあるので資源が完全利用されている状態ではあるが、唯一の違いはA点が社会的無差別曲線に接している社会的に最も望ましい成長産業と衰退産業の財・サービスの組み合わせであるが、B点はそうではないということである。より直観的にいえば、B点はA点に比べてより多くの衰退産業とより少ない成長産業を経済全体で抱えているのでその社会の与える評価が低い経済ということになる。ビックバン型構造改革では、衰退産業をリストラし、そこで不用になった労働や資本などを成長産業で活用することで経済全体の効率性を高めるということである。ここで問題となるのが、ビックバン型構造改革では一時的に規模の大きな「リストラ」が必要になるということである。このようなリストラが急激にすすむために、一時的に失業や遊休設備が生じ、生産可能性フロンティアの内側に経済は落ち込む(図29のC点)。これがよくいわれる構造改革に伴う「痛み」である。例えば労働者がすぐに自分の能力に合った働き先を見出すことが困難であったり、また技術の向上に時間がかかるために、すぐに転職が可能ではない。これを「雇用のミスマッチ」とまま表現されている。
 このため調整期間中は、現実の成長も大きく制約される。たとえば従来のB点はその社会がそもそも好んで選んでいた経済状態であったともいえる。この状態を変更することは衰退産業に権益を有するような集団(利益集団)の利害を損なうことなしには社会の経済状態を改善することができないという意味で「非パレート改善」という。これと反対に既得権に触れないで、社会全体の構成がますことを「パレート改善」という。構造改革というと、官僚や政治家などの既得権益を正すという勧善懲悪的なイメージが色濃いが、経済にはBからCへの一時的な落ち込みは「非パレート改善」というあまり経済的には望ましくない資源配分の変更方法ではある。しかも既得権益をもつ利益集団の抵抗が容易に予想されるので改革も政治的な困難が待ち構えている。他方で漸進的構造改革は社会の成員の状態が誰ひとりとして悪化せずに改善する可能性があるという意味でパレート改善的な政策手法である。

 このような斬進的構造改革の手法は、より具体的にはマクロ経済政策で経済全体のパイを大きくしながら構造改革問題を改革していく手法と表現できる。先に指摘したように中国や東欧の一部の国々ではこの改善手法を意識的に採用して成功をおさめた。
 この手法はマクロ経済政策を中長期的にうまくコントロールすることで成長を推進していき、構造改革を行うので「リフレ的構造改革」と表現することが可能である。通常、「リフレ」すなわち「リフレーション」(Reflation)は、デフレ脱却のための循環的問題を解決する手法を意味しているが、ここでは語義を広めて適切なマクロ経済政策の持続的運用を意味しておく。経済が過熱せずに緩やかなインフレ状態(物価上昇率で2〜5%程度)にあることは経済の活性化や構造改革にも望ましいのである。
 これに対して先のビックバン型構造改革は、旧ソ連や東欧の大半の国々がIMFなどの国際機関のすすめで採用し、今日までも残る深い痛手を負ってしまった。『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店、2002)の中で、ジョセフ・E・スティグリッツは適切なマクロ経済政策を前提とする漸進的構造改革こそ、IMFの処方箋とは異なる、構造的問題の有効な対処法であると強調している。


 図30を見ると持続的なマクロ経済のコントロールによって生産可能性フロンティアが従来のXYからX’Y’に外側へと拡大している。経済全体の大きさをリフレ政策で拡大しているということである。このとき従来のB点はB’点に移動している。すると衰退産業自身の規模は変わらないものの、他方で成長産業の生産量が拡大している。これは最も望ましいE点に比較すると、成長産業の生産量はいまだ最適な水準であるとはいえないものの、そもそものB点よりは改善した状態である。
 これは最善の手法ではなく、既得権益による非効率性を温存しながらも最適な部分を伸ばしているという意味であくまで「次善」の策である。ただし既得権益の抵抗をやわらげながらよりましな状態に進んでいるだけ、改革は一定の成功と後退の危険性を、ビックバン型構造改革にくらべて得る可能性が高い。

 もちろんこれだとリフレでパイを大きくすれば構造改革はいらないのか? という的外れな批判をうける可能性がある。もちろん非効率部門の改革も行う。しかしリフレと併用すればその改革に伴う抵抗とコストを引き下げることができるということを極端な形で書いただけである。