雇用流動化論というまやかし

 構造改革論やいまだに根強い不況下でのサプライサイド改革の核心部分が、この「雇用の流動化論」。今日の非正規労働者が膨大に生まれたのもこの不況下での雇用流動化論という悪しきイデオロギーが加担しているためである。

 最近でも、この不況下でこそ、雇用の流動化を促すことを主張をする人たちがいる。例えば正規と非正規との壁をなくせ(=解雇法制を緩和しろ、あるいは正規と非正規両方から解雇者を選出せよなど)というのも結局はこの雇用の流動化が、日本の不況対策として有効である、ということなのだろう。しかしこれこそ倒錯した経済思想そのものであり、今回のような不況の下では単に人々の生活が軒並み不安定になるだけである。

 またこのような不況対策としての雇用の流動化論は、今日の非正規労働者の膨大な増加にも現れているが、単に経済・社会的な交渉力に劣るアウトサイダーたちの立場を真っ先に悪化させるだけである(短期雇用の促進)。解雇法制の緩和でさえもまっさきにインサイダーたちの弱者を苦境に陥らせるだけであり、それは簡単にいえば不況の下でリストラをしやすくするだけでしかない。そのときアウトサイダーの層からの新規採用があるのかといえば、それはない。そんなことはここ十数年の日本の長期停滞を素朴に観察すれば自明である。そもそも雇用の流動化をすすめる政策が、総需要不足である日本経済への正しい処方箋であった理論的可能性はないといっていい(『構造改革論の誤解』参照)。

 さて、赤間さんのブログは一貫して大学問題を扱っていてるが、今日のエントリーはそのような今日の日本の最大の悪といえる雇用流動化論が、大学に極端に用いられたらどうなるか? を示す素材を提供している。マスコミはこの件についてもっと注目すべきではないだろうか。簡単にいえば任期一年でまともな教育も研究もおちおちできない、というのは常識でしかないように僕は思えるのだが。

 http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090106/1231249294

(補遺)
あら? へんなことをいつも書いているアルファブロガーのブログ(事実を曲解、経済学の基礎知識不足)からいらっしゃった方々が少しいるようなので、ああいうブログに書いてある間違いを信じないように、というのがせいぜいですが 笑。

 簡単にいうとリフレ派は総需要不足の不況が日本で起こっていると考えてます。その対策には強力な総需要喚起政策が必要。ところが雇用流動化論は総需要を喚起しません。総供給側の効率化をすすめるだけです。そのため総需要喚起政策を伴わない総供給の効率化=雇用流動化は、自体を悪化させるだけです。つまり失業者増やすだけ。その頭の調子に疑問があるブログ(笑)では、リフレ派は失業者のことを考えてないというトンデモな意見がありますが、その反対にすでに失業している人も失業はさらに長期化し、新に解雇法制の緩和によって既存雇用者もリストラされやすくなり、ダブルで失業が悪化していくというわけです。また不十分な総需要喚起政策しか伴わない場合もかなり自体を悪化させる可能性が強いです。

 以上の話が「同情論」としてしか解釈できないようでは、まあ、その人物の論理能力に同情を禁じえません。ハイ。どこかのへんなことばかり書くブログでままみられるように、ゾンビ企業を淘汰して効率化をめざし、リフレ政策のような強力なものを主張しないのは、まあ、リフレ派だという以前に、単なる経済学の基礎知識を知らないものなんでしょうね。

 そういうのみてばかりいると何が本当で何が嘘だかわからなくなると思いますのでご注意を。

(補遺その2)
あらら、毎回毎回、なんでこの人は確信犯的な間違いを繰返すのかなあ? よくわからんけれども。しかし多くの読者を毎回、誤解と混乱にリードしてて恥ずかしくないのかな? あと議論する気持ちないよ、だって経済学の基礎知識ない人と論争しても相手のアフェ稼ぎに貢献するだけだし 笑。

 例えばそのへんなブログ(読者の皆さんはもう読まないことをおススメします。だってただ彼は真理よりもただの人気商売でやってるみたいだし、もっとまともな経済ブログは日本でもいくつもあります。ここにあげたのはすべて推奨。僕とは違う見解や僕への批判もありますが、みなさんちゃんとしている)では、雇用の流動化が労働需要側の改革だとか書いていますね。これ本当にどうしようもない誤り。雇用の流動化には需要サイドと供給サイドそれぞれの改革がある。それと解雇規制問題も需要側と供給側をみなくちゃいけない。

 例えば、解雇規制は、解雇コスト(雇用コストと表記しても同じ→解雇者への解雇手当となる)をあげている。ところが重要なのは、解雇規制を緩和したときに重要なのは、社会全体のコストがどうなっているかなんですよね。だから解雇規制を緩和して解雇コストが低下するから労働需要が増加して終り、なんて部分しかみない(しかも部分すらも満足にみてない)シナリオではまったくダメ。

 それと、そもそも解雇規制があるということは(賃金は硬直性を有しているので)、それは解雇規制がないときよりも雇用増を生み出していることにも注意が必要、また解雇規制があるので解雇手当が生じているのでその分も解雇者の負担するコストは小さい。他方で企業の側は規制があると解雇コスト増、そして(賃金が硬直性を有しているので)割高な賃金支払いをしている。

 問題はこの解雇された人と企業の側のふたつ合わさったコストが、規制があるときとないときでどう違うかの比較が重要。だからその変なブログの見方はただの基礎的な理解に欠けてるだけ。

 ところでこのふたつ合わさったコストをどうみるかで実際には見解がわかれている。僕は上にも書いたように、解雇規制を緩めても、(1)企業の解雇コストなどが減る以上に、(2)雇用の減少(繰返すけど規制がないと労働需要価格サイドからみると労働需要量=実際の雇用量は減るんだけど? なんでその変なブログは増加すると考えるのか意味が不明)や解雇手当が減ることの社会的損失が大きいと判断しているわけ。それは不況が強まれば強まるほど解雇規制を緩めると(1)よりも(2)の方がはるかに上回ると判断しているから。その証拠? それは雇用の流動化が曲がりなりにも90年代から00年代にかけて進展したけれども、それ以上に90年代から00年代当初において失業率が増加したことでもわかるんでないの? ましてや今回のハードアタックの衝撃を、ささやかな解雇コストの低下で吸収できると思うのはちょっと現実的じゃないでしょう。