映画『イーグルアイ』とフリーター、派遣

 かなり前から映画館で予告編を流してた『イーグルアイ』をたまたま時間の隙間が合ったので見た。映画自体は予告編を出るものではないが(つまり予告編を凝視すればすべてネタがわかる)、見ていて損な気はあまりしなかった。特に感想はそんなものだったけれども、前後して関連するいくつかのネットのニュースを見た

2ちゃんねる西村博之ニートにエール?「頑張ればそれなりに上にいけるはず」
http://cinematoday.jp/page/N0015849

西村は「政府の政策で個人の働く意欲を増やすことは無理だと思う。今のフリーターやニートの人は、働きたくないから働かないのだと思う」とばっさり。

 ニートは定義からいうと働きたくないから働かない(かなりの部分、働きたかったが働けないのでとりあえず諦めておく=求職意欲喪失者含む)でもいいかもしれないが、フリーターは働いているんだが…と素朴な疑問を思いつつも、次の一文を読む。

 西村なりの持論によると「やる気がある人がいくらやっても上にいけない世の中は良くない。でも今の日本では、頑張れる人はそれなりの生活が出来るようになっているので、まだまだ豊かなんだと思います」と現在の日本社会に対し楽観的な見方をしているようで

「頑張れる人はそれなりの生活が出来る」かどうかがやはり問題なんだろう。しかし頑張れない状況がいまの論点なんだろう。

4割弱が非正社員=派遣は倍増−07年厚労省調査
http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?m=27979&c=economy

のニュースをみると「平成19年就業形態の多様化に関する総合実態調査結果の概況
http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/syugyou/2007/1107-1.htmlなどをもとにして、派遣社員がそのような頑張れない状況に陥っているとみなす報道や意見がかなり多い。

 調査は平成14年と19年を比較しているので、ちょうど日本経済が長期不況のどん底から(いくつかの要因で)景気回復局面の出口にたった時期(14年…ようやく完全失業率が5%台から4%後半になった年)、そしてその後(19年…完全失業率は3.9%)を含む期間の相違がこの調査に映し出されている。14年はいわばどん底からの「出口」であり、そこからの景気回復が「求職意欲喪失者」のプールから特にパート労働者を増加させているのが目につくのが僕の感想だった。

 もちろん報道は派遣労働者たちの「生きずらさ」に焦点をあてたものが多いのだが。この派遣労働者たちの増加も景気回復によるところが多い(景気回復していなければ現状でこれほど増加していない。なぜなら不況でまっさきに調整されるのはパート労働者や派遣労働者だからだ)のも事実だろう。報道やこれをもとにしたネットや表?メディアではそんな意見は皆無だが。

 例えば派遣労働者のうちロスジェネ世代の年齢層(統計の都合25歳から34歳まででみておく)がなぜ派遣の就業形態を選んだかというと、圧倒的に多いのは「自分の都合のいい時間に働けるから」である。しかし報道の多くはパート労働などと比較すると高い数値がでている「正社員になれなかったから」の高さに注目している。報道の力点は、正社員になれなかったから所得や雇用の不安定な派遣になっている、それが問題だ、というシナリオだろう。

 しかし「正社員になれなかった」という人たちが景気回復によって派遣労働者という職を得たという事実が過小評価か無視されているのはおかしいのではないだろうか? もし派遣労働者になれない(=不況の深刻度が00年代初め並み)ならば職を得ないまま「求職意欲喪失者」かもしくは長期失業者あるいは他の就業形態についていたのではないだろうか? 派遣労働者の雇用や所得の不安定な側面ばかりが注目されて、この派遣という就業形態が持っている雇用の確保の意義がほとんど無視されるのはやはり僕にはおかしく思える。厚労省の調査もそこのところは「世論」迎合的とうけとられてもしょうがない。

 こんなことを書くと景気がよければそれでいいと考えているのか、という人がいるが、それは論点が違うだけであり問題がないなどとは考えていない。むしろその種の指摘をする人の脳内にはほぼ100%上記した派遣という就業形態が景気回復の中で雇用確保の受け皿になったという事実への認識が決定的に欠如していることをいったまでである。

しかし最後に、「でも来年のアメリカと日本はやばいことになっているかもしれませんが……これって警告ですかね?」

 これは「警告」じゃなくて現実味を帯びていると思う。ここ参照。