万年危機論者の祝宴を覗き見て

 最近、ある編集の方々から2003年時点で今回の事態を予測(予言と聞こえたんだけど勘違いだろう)したのは副島隆彦氏であり、従来の経済学にとらわれないからそのような予測が可能だったのではないか、ということだった。なるほどそのとき見せていただいた副島氏の予測文章は、僕も読んだことがある『預金封鎖』(2003年)の一文であった。

 「アメリカの個人向け住宅ローンは、きわめて投機的な動きをしている。これは「モーゲイジ・エクイティ・ローン」といって、日本の住宅ローンのように緩和で健全なものではないのだ。(中略)ファニーメイフレディマックという、日本の住宅金融公庫に相当する米政府の国民向け尻拭い金融機関が、今や巨額の負債を抱え込んでいる。これが爆発すると間違いなくアメリカ発の世界恐慌である」(61-2頁)。

 確かにこれだけみるとすごい洞察力に思えてしまう。副島氏の最近著はまったく読んでいないし*1、実は副島氏の本は『月面』本以外は全部ブックオフに売ってしまったので、実はさっき買い戻して?きた。5年前の本だというのに半額以上の値がついていて、いまの彼の本の人気度を物語っている。ところがこの前後の文章を読むと急に僕の脳裏には疑問符が昔と同じように点灯しだすのだ。

 「米国債がやがて暴落して、長期金利が跳ね上がると、この住宅ローン抵当証券市場が崩壊し、アメリカに金融恐慌が起きるだろう」(61頁)。

 米国債は暴落している気配はいまのところないし、長期金利は低下傾向にある。そもそもこの米国債の暴落って何が原因するかというと、たぶん日本の機関投資家たちが米国債を一挙に売りに出したときに生じるみたいだ(63頁)。でもそんな感じはまったくしないのだけど。あとドルの暴落も起こるみたいだけれどもそんな気配もなくむしろドル高(対日本円以外)が続いている。確かに一部分だけみるとすごい予測力で敬服するしかないが、全体のシナリオにはあいかわらず僕は大きな疑問を抱いてしまう。あとアメリカの投資銀行デリバティブ取引が抱えている隠れ不良債権の存在を指摘しているのはフェアにみればさすがだ。でもこれは別にサブプライムローンとは別個の問題として挟まれているサブストーリーでしかない。

 いまや本屋にいくと副島氏だけではなく多種多様な金融危機、恐慌本が花盛りだ。それはまさに100年に一回の絶景のようにみえる。でも本当のところは大型のブックオフにいって100円均一のビジネス書の棚にいってみることをおススメする。80年代、90年代、00年代いつの時代にも危機、恐慌、破綻本は大流行だったってことがわかるから。その意味ではブックオフは図書館では味わえない死せる恐慌本の博物館だ。本当の「暴落」はそういった危機本にきていることがブックオフではお手ごろにわかるだろう*2

 そういえば、僕は2004年の12月に『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)を出してその中で次のような一文を書いたのでそれをここに引用しておこう。

経済論戦の読み方 (講談社現代新書)

経済論戦の読み方 (講談社現代新書)

“万年危機論者”たちの明けない宴

 日本の経済が一息入れているにもかかわらず、書店の平積みコーナーを席巻している経済書のタイトルといえば「恐慌」「預金封鎖」「破綻」「カミカゼ」「泥棒国家」などの煽り系のタイトルを施されたものばかりである。なかでも売れていそうなのは、高橋乗宣『カミカゼ景気』(2004年、ビジネス社)、ラビ・バトラ『世界同時恐慌』(2004年、あうん)、副島隆彦『やがてアメリカ発の大恐慌が襲い来る』(2004年、ビジネス社)、本吉正雄『預金封鎖』(2004年、PHP)、藤井厳喜『新円切替』(2004年、光文社)、吉川元忠『経済敗走』(2004年、筑摩書房)などである。
 これらの書籍は経済危機本としてある明確な共通点を持っている。以下ではこれら経済危機本の共通する枠組みを明らかにして、それらの問題点を明らかにしたい。
共通する枠組みとしてまず指摘できるのは、(一)現在の景気回復への懐疑的態度、(二)従来からの危機説の維持 である。「悲観派エコノミスト」の代表的論客ともいえる高橋乗宣は、題名だけみると「レジーム転換」したのではないか、と思わせる題号をつけた『カミカゼ景気』を著している。しかし、あくまでも「カミカゼ」である。昨年から明白になった中国特需に基づく景気回復は、短期的には疑いないとしても長期的に持続するか微妙としている。これだけなら理解しやすいのだが(ご存知のように輸出による景気浮揚は効果は大きくとも為替レートの調整・相手国の経済状況次第などで概して短期的な効果にすぎない)、それでも中国経済は特殊なのでこのカミカゼは何年も吹きまくる本格的なものかもしれない、と書いている。中国発デフレ転じて中国発リフレとでもいきたい雰囲気だが明言しないところが年季のはいったプロらしい書きぶりである。ただどうもカミカゼの長期継続を断言できない理由は他にありそうである。
 高橋は前年の2003年にも『恐慌前夜』(武藤泰明との共著、東洋経済新報社)を、2004年に入ってからも『金融資産が狙われている』(ビジネス社)を上梓し、そこではあいかわらずの万年危機説全開であった。カミカゼ景気の持続可能性にためらいがあるのは、やはりこの万年危機説への固執にあるのかもしれない。
 この万年危機説は、副島、吉川らとも共通するものである。もちろん彼らは「万年」ではなく「いまそこにある危機」として毎回書いているので、「万年」はわたしの修辞であることをおことわりしておきたい。この万年危機説の構成要素は主に二点ある。?アメリカの「双子の赤字」は維持不可能な水準にありやがてドル暴落、アメリカの恐慌は避けられない、?日本の財政赤字も維持不可能であり資産暴落・悪性インフレは不可避である、という二本の大きな柱によって構成されている。?はさらに、いま現時点でアメリカが恐慌に突入しないのは、日本の財務省が昨年から今年の春先まで行った空前規模の為替介入によって米国債を買いまくったことによって財政破綻が顕在化していないこと、さらにイラク戦争などが軍需産業を通じた公共事業となっており景気を下支えしているからであるというものである。副島の形容ではネオコン主導の「軍事ケインジアン主義」が展開されているというわけである。そしてこのロジックを大きく支えているのがアメリカ陰謀説である。吉川氏や副島氏らは、日本の経済政策はアメリカに従属支配されており、財務省米国債購入も強制的に命令された結果であるとしている。アメリカは将来暴落するに決まっている米国債を日本に買わせリスクの軽減を狙う陰謀を行っているというのがその趣旨であろう。?についてみてみると、日本の財政赤字も維持不可能であり、「いまそこにある危機」として預金封鎖、新円切替、相続税・資産課税の強化、さらには円の使用を停止してドル化するというさまざまな「国の借金チャラ計画」が進行中でるあるとしている。つまりこちらのほうは日本国の陰謀説である。
 もちろんアメリカや日本の財政の維持可能性はどちらも深刻な問題かもしれない。しかし基本的には公債発行残高とGDP比率が発散しないような経済運営をすればいいわけであって、上記の危機論者たちの多くが主張するグロスの公債残高だけへの注目は適当ではない。これらの人々の著作には財政危機回避へのシナリオが決定的に欠けている。もっとも万年危機説を採用しているので危機が回避可能だと困るのかもしれない。例えばいまの日本の財政問題を考える上でキーになるのは、やはり名目利子率が名目成長率を上回ってきたことにある。借金の返済の増加のほうが、経済の増加スピードよりも大きいといってもいい。その原因は日本についてみればデフレである。ところでこのデフレ退治の対応策としてのインフレターゲット政策などはこれらの人にとってはハイパーインフレや悪性インフレを招くものとして、むしろ日本政府の借金チャラ計画(副島ほか)や日本銀行ハイパーインフレをわざわざ起こしたあとに颯爽とインフレファイターとして登場して公衆の信頼を勝ち取ろうと狙う日本銀行の策略(本吉ら)にとっては到底許容できない手法である。私からみると、あたかも一番危機を防ぐ可能性のある政策に難癖をつけている程度にしか思えない理論的基盤に欠けた非難が集中している(インフレターゲットハイパーインフレを招かない理由については、本書の第4章を参照されたい)。
 ところで 彼らの危機回避策もほぼ共通している。それは端的にいえば「ドル支配=アメリカ支配脱却」である。中国などとの共通通貨圏や経済圏の確立に話が移行していくのがお決まりのパターンだ。
 こういった他国支配からの脱却というナショナリズムにも、そしてアメリカ陰謀論・日本陰謀論にも実証がいらないところが共通している。陰謀が事実から検証されると陰謀ではなくなってしまう。永遠に事実で反証されない論理と、いつかはあたるかもしれない万年危機論。まさに彼らの商品は「無敵」である。
 ところで『「陰謀」大全』(宝島社)のなかで、副島がユダヤ陰謀論者を批判的に論じて次のように書いている。
 「『○○という事実がありました。これは、皆さんもご存知のとおり○○○○だったのですが、これも実は○○○○がからんでいるのです』、この語り口調はなかなか小気味よい。耳当りがよいのである。そうか、あの事件も、この事件も、やっぱり裏に秘密があったのか。自分もヘンだな、と思っていたのだ(略)いろんな厳しい人生経験を積んでそれなりの生き方をした後でも、人間はこの程度のホラ話に一気にのめり込むことができるのである」。
 まさに私の万年危機論への感想を凝縮したものといえる」

いまもまったく同じ感想なんだけど?

(補)上の文章でひとつ重要なことを書き忘れていた。僕の父親はなぜか頼んでもいないのに僕の本を全部買ってもっている。いってくれれば献本したものを。でもそれも親心なのかもしれない。でも彼の本棚には僕の本よりも多くの副島氏の本がずら〜りと並んでいることを最近知ったのは軽いショックだったね。預金封鎖って彼の時代では冗談や悪夢ではなく、実体験であるわけだから。しかしその本棚を前にしたときの僕の胸中はorz でもオヤジ、家族で眠い目こすってみてた月面着陸映像、あれもあなたの心では嘘だったろう論なの? ひとつそこんとこ今度聞きたい 笑。

*1:2005年ぐらいまでは副島氏の本はほとんど読んだんじゃないかな。彼が主人公の劇画は純粋に面白かった。あれは珍しいので売って損したと思っている

*2:でも僕は物好き?なのかそういった本は大好きだし、それに危機本の中にだってすぐれたのはかなりあるのは事実なんだよね