人間はなかなか金融パニックに陥らないという前提で考えると

 最近、よく読まれているらしいブログを拝見してちょっと疑問に思うことがあった。というか自分で問題として勝手に切り出しているのだが、http://d.hatena.ne.jp/eliya/20081005/1223185647で人間は簡単にパニックに陥るとある。

 でも銀行取付が波及して金融システム自体が不安定になるケースというのは非常にまれなように思える。また一行だけの取り付け(取り付けの波及と一行だけの取り付けは議論としてかなり違うものになる)でもそれほど頻繁に観察されるかというとそれも疑問に思う。むしろ20世紀後半から現代まで人はほとんど金融パニックを起こさなくなっているともいえる。最後の貸し手への信頼(これが決定的)や預金保護制度などの完備がそのような金融パニックを防いでいるといえるのだろう。

 このように人々がパニックに陥りにくい中でどうして今回このようなことが起きたのか。それを考えていくとパニックを防ぐと信頼されてきた「最後の貸し手」すなわち中央銀行への信頼が揺らいでいるのだ、というのが先日ここで紹介したアンナ・シュワルツの指摘であったと思う。Mark Thomaはそれに対してFRBではなく財務省の問題であるとも指摘している。つまり今回の金融危機は人々のパニックがほとんど起こらない仕組みの中で起きてしまったことが問題を正しくみる上でのキーだと上記の人たちは考えていると思われる。しかがってパニックの原因を上記の人たちのように考えるならば規制のないヘッジファンドや証券会社がなにかしたことがパニックの原因であるともいえない。規制のあるなしにかかわらず、シュワルツーThoma流のパニックは生じてしまうだろう。これは今回のパニックをうけて、「規制の議論」が高まるだろうが、忘れてはいけない論点になるだろう。

 (補)だからここで山形さんがここでネタとして言及しているような意見=「欧米流のDcfに基づく近視眼的な短期のビジネスモデル」が金融危機の原因であり、そのようなビジネスモデルを今後規制したり、(もちろん冗談だと思うが)ラオスの Tigoモデルに従えば金融危機は防げる、というのはちょっと賛成できない議論の方向になる。これの俗化した形が市場原理主義とか新自由主義がいけない、という議論になっていくのかもしれない。でももしこの「欧米流のDcfに基づく近視眼的な短期のビジネスモデル」が駄目なビジネスモデルでありそんなものに人々が疑いをもつことで、株式市場で株価が低下したり、住宅価格が低下したとしても、それは「擬似金融危機」であり、それは基本的に放置すべきである、という意見になるのである。