ギャラクティカな社会

 「そしてこのようなネットワークが豊かに作られるならば、協同組合工場のような、労働者が自治する工場の取り組みも、今度こそ失敗する危険が小さくなるでしょう。小さな工場ならもちろん、大きな企業でも、全国、全世界のこのようなネットワークとつながって、ニーズに基づく生産の一環を担っていくならば、見込み違いの在庫を抱えて破産する危険は低くなるからです。ニーズの少なくなった部門から多くなった部門への業態の転換なども、人々の要求に応える形で比較的リスクなく行えます」(『はだかの王様」の経済学、270―1頁)


  ところで疎外のないアソシェーションというのは、感性が観念に抑圧されていない環境のことです。ある人のニーズを感性的(?)にすべての人が即時に体得することが理想でした。わたしたちの社会も、この冒頭に引用した、旧世紀の終りごろにだされた聖典の言葉を信じて疎外のないアソシエーションを作り出すことに懸命です。

 でもさすがに即時に皆が個々の人のニーズをすぐに知ることは、テレパシー集団か、みんなが蟻のような社会ででもなければ不可能です。そのため私たちの社会はいくつもの仕組みを作り出しました。なんて誇らしい社会でしょう。

私たちの社会では、個々人のニーズは、生産側が個々に把握しています。例えば、町には生産相談コーナーがあってそこで人々が並んで、順番に自分のニーズを申告しています。僕の1週間のうち大部分は待ち時間で費やされますが、でもそれでニーズがかなえられるんですから問題なんか頭に浮かびません。でも待つ時間が長いと労働時間が短くなるのがちょっと心配です。

 僕のいまのニーズは、「宇宙空母ギャラクティカのあのブーマー型のメイドロボがほしい」でした。生産相談コーナーにいって担当官にそう申告しました。彼女(彼)は、僕の詳細な申告内容を次々と認識してくれます。いい忘れましたが、担当官も高度な技術のメイドロボなんです。

 でも「宇宙空母ギャラクティカのあのブーマーのメイドロボがほしい」なんて注文をしたのは僕だけだったようです。ところがそのとき相手の提示した価値指標が1億バーナンキ(貨幣は疎外を生じるので、いまはヘリコプターに乗ってるハゲ男の写真に数字が書いたものが価値尺度としてだけ認められています)。僕は他方で100万バーナンキしかだせません*1

 このとき僕のニーズはもちろんかなえられません。ところが僕はこのニーズをみたしたくってしょうがありませんでした。生産相談コーナーから帰ってから、毎日毎日、その満たされないニーズがユメにまででてきます。なんかいま家にある南極30号ザクしかない僕の状況は、あの古代の言葉でなんといいましたか「mizime」というものに近いような気がしています。

 ある日、当局からお知らせが舞い込みました。都内のデパートにいくと「宇宙空母ギャラクティカのあのブーマーのメイドロボではないけれども、ギャラクティカナンバー6の大量生産型メイドロボが売りに出ている」ということです。しょうがないなあ、と僕は諦めてその大量生産型メイドロボを買いにいきました。ところがすでにそれは品切れです。どうも噂によると(テレパシーは使えないし、ネットは疎外の可能性があるので禁止です)、当局がみんなのニーズを聞いたところによるとさまざまなメイドロボのニーズがあったということ。しかもそれが千差万別であったということです。

 価格、いやバーナンキの点で折り合いがつかず、しかしニーズを放っておくとニーズが外化してしまい、ロボメイド観念(萌え、と昔の人はいったそうです)によって疎外になり、mizimeな状態になるおそれがあります。しょうがないので当局はこれらのニーズから共通する要素を猛烈高速コンピュータマツオ1号改によって計算し、「ギャラクティカナンバー6の大量生産型メイドロボ」を作り出したそうです。

 ところがやはりナンバー6はナンバー6だったようで、試行的に別のデパートで売り出したところなんと在庫が余ってしまいました。これはいけない、と当局は生産を調整したようですが、どうもマツオ一号改の計算機は処理速度の点で光速をこえないといけないのがわかり、ジャンプの技術が開発されるまで、在庫がでたり品切れがでたりするようになってしまいました。でもこのジャンプ技術は日本の塩沢研究所が近い将来解決してくれるとのことです。よかったですね。

 それにしても、どうも僕は品切れの方のデパートに来てしまったようです。しょうがないので帰りましたが、不思議なものですね。あれほどブーマーのメイドロボの方がいいと思っていたのに、ナンバー6が売りに出されてみると、今度はそれがほしくてほしくてたまりません。もうわが家ではナンバー6の写真を床の間に張って、入荷の知らせを待っているところです。

 もう2年経ちましたが、まだ来てません。でもこう写真を眺めたり、ナンバー6ファン倶楽部のひとたちとmizimeを語りあったりして、松の尾もなんか楽しいことなんですね。

*1:いまの時代でも古代の政府通貨発行益の有限性がいきてて、それは日本のネットではバーナンキ背理法といわれてたらしいです。したがってこの時代でも人々はニーズのままにバーナンキ券を与えられることはできません。政府通貨、いや当局バーナンキ発行益の有限性が成立しています。そうでないとバーナンキ券の信用性がなくなってしまうからだそうです。ちなみに昔は物価とか金がアンカーだったそうですが、いまはインタゲ暴動以後、労働時間がアンカーです