野口氏の1940年体制論は、歴史的、方法論的、経済学的なさまざまな根源的な批判に晒されているにもかかわらずその支持者が耐えることはない。ひとつには官僚支配=社会主義国日本=旧弊打破 といった図式が勧善懲悪的にわかりやすいのだろう。
- 作者: 野口悠紀雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/01/01
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歴史的、方法論的、経済学的なさまざまな根源的な批判として以下のものをご紹介(あとで加筆予定)
中村宗悦さんの論説
http://chronicle.air-nifty.com/historical_amnesia/2006/02/post_1bcb.html
原田泰さんの書籍
- 作者: 原田泰
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 1998/10
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田中の論説『経済論戦の読み方』から抜粋
:さて戦後の高度経済成長の成功が、日本的システム(銀行・大企業への護送船団方式、有能な官僚組織による産業政策、それに日本型雇用システムなど)により可能になったが、国際的な経済・社会環境の変化によっていまや日本的システムが経済の停滞をもたらしていると考える常識はいまも相当根深い。われわれはこのような見解を、「日本的システム機能不全説」あるいは「日本的システム=構造問題説」と名づけた。
ここでいう構造問題の「構造」という言葉は、雑多ながらくた箱に似ていてなんでも受入れかねないものだが、それでも改革されるべき「構造」として、多くの人々は「日本的システム」を脳裏に思い描くに違いない。終身雇用制、年功序列制、企業内組合といった企業の「三種の神器」、「護送船団方式」といわれた官僚主導の経済システムである。そしてこのような「日本的システム」を構造改革の対象として明示したバイブル的存在こそ、野口悠紀雄(青山学院大学教授)の『一九四〇年体制』(東洋経済新報社、1995年)である。
野口の主張は以下のように整理できる。先の「日本的システム」が1940年代の戦時統制経済において基本的に形成され、戦後も高度経済成長の原動力となるなどきわめて有効に機能した。しかし、それがうまくいったのは欧米への「キャッチアップ」段階までのことであり、その段階を終えた現時点では、いまや経済成長の障害になってしまった。この障害たる「日本的システム」を改革できるのは、「構造改革」しかない、というものだ。
この野口の明快ともいえる一九四〇年体制テーゼは、理論的なさまざまなヴァージョンを伴いながら今日も強く支持されている。例えば、リチャード・カッツ(ジャーナリスト)の『腐りゆく日本というシステム』(東洋経済新報社、1999年)、池尾和人(慶応義塾大学教授)らの『日韓経済システムの比較制度分析』(日本経済新聞社、2001年)、立花隆(ジャーナリスト)の「現代史が証明する「小泉純一郎の敗退」」(『現代』2002年3月号)などであり、経済学者に加えてカッツや立花のようなジャーナリストに支持者が多いのも特徴だ。おそらくこのテーゼのわかりやすさが広汎な賛同者を得るのを可能にしている。
官僚が統制した経済が半世紀以上持続し、90年代以降の日本経済の停滞をもたらしている。犯人=官僚と「三種の神器」を採用する経営者・労働者、改革方針=システムの破壊、と勧善懲悪的にはすっきりしたシナリオが書ける。
野口自身が、この一九四〇年体制テーゼを本格的に提唱したのは、同書発行より二十年近く前に遡る。当時、大蔵官僚であった榊原英資(慶応義塾大学)との共著「大蔵省・日銀王朝の分析―総力戦経済体制の終焉―」(『中央公論』1977年8月号)である。榊原・野口はこの共著論文で、日本の経済体制の核心部分として「大蔵省・日銀王朝の支配」を指摘し、この「王朝の支配」に反を唱えた。大蔵省・日銀主導の「日本的システム」の廃止を主張した若き野口らの発言は一部の論者に好意的に評価された。官僚主導経済として、日本の「構造」問題を指摘する野口らの手法は、前川レポートなどの政策提言、開発主義的な主張を展開した村上泰亮の『反古典の政治経済学』(中央公論社、1992年)などに代表される強力な「同伴者」を得て、今日では政府や論壇の中で一大勢力をもつまでに膨張した。
しかし私はこのような野口に代表される「構造」的、「システム」的発想は、経済的な問題をきわめてステロタイプ化してしまう、閉ざされた思考形態であると思う。実際に、半世紀も同じシステムが持続して影響力をふるうことができるのか? 野口の一九四〇年体制テーゼに対して、原田泰の『1970年体制の終焉』(東洋経済新報社、1998年)では、時代的に「日本的システム」は近時の産物であり、しかも経済資源の非効率の使用を招く政府の諸規制によるものが大半であり、その意味では「システム」を変更することで問題が片付くのではなく、政府の不当な市場への介入が生じないように絶えず注意するべきだと主張している。
さらに私が重要に思うのは、一九四〇年体制テーゼでは、資源の誤配分によるミクロ的な非効率性と、資源の遊休(=失業)によるマクロ的非効率を峻別する視点が欠けていることだ。構造改革主義者の多くが70年代は「日本的システム」の悲観者であり、80年代では支持者であり、90年代にまた悲観者に戻ったのは、このマクロ経済への認識の欠如による(コラム1参照)。例えば、80年代はいまよりもずっと規制の多い経済であるにもかかわらず、90年代から今日にかけてよりも高い成長を達成した。それは、低い失業の実現というマクロ経済政策の一応の成果ゆえであった。反対に、規制緩和が曲がりなりにも80年代よりも進んだ今日、経済が停滞しているのは、まさにマクロ経済政策の失敗によるのである。: