猪木武徳編著『戦間期日本の社会集団とネットワーク デモクラシーと中間団体』とトクヴィル


 武藤さんからご恵贈いただきました。ありがとうございます。すでに同書の武藤さんの論説「戦間期日本における知識集団ー黎明会を中心に」については少しだけ当ブログで言及させていただきましたが、今後の福田徳三研究に活かさせていただければと思います。ところで本書の問題意識を猪木先生は次のように書かれています。


 「近年、日本の議会やメディアでしばしば論じられる政策課題として、地方を活性化するために「地方分権」をいかに確立するか、税源の地方への委譲や中央政府から地方政府への人材の「天下り」をどう考えるのか、国民の司法への参加を政治制度としてどうとらえるのか、その具体的な形としての「裁判員制度」はいかに運用されるべきなのか。NPONGOとよばれる中間組織が、いかに公的な事柄への国民の関心を高め、公的な利害と私的な要求を調整する力を持ちうるのか、といった問題が挙げられる。
 これら三点は、トクヴィルが170年も前に、『アメリカのデモクラシー』の中で指摘した「個人主義と多数の専制のもたらす弊害を克服するために、アメリカのデモクラシーはどのような装置を制度として組み込んでいるのか」という論点と重なる。民主制はすべての人々に自由な社会的栄達の道を平等に開いているが、社会的紐帯を切断し、結局のところ人々をバラバラにアトム化氏、孤立さえ、個人主義の究極的な形としての利己主義を蔓延させる、とトクヴィルは指摘した。この無責任な利己主義が生み出す「多数の専制」を回避するために、アメリカ社会は、地方自治の確立、陪審制度による司法の参加、自由な(自発的な)結社(voluntary associations)という三つの装置を民主制の中に組み込んだよいうのである。このトクヴィルの指摘は、現代のデモクラシーと市場機構が未だそのまま引きずり続けている難問を解くために、傾聴すべき論点といえよう」(障ネ−障ノ)。



 本書はこの論点を日本の「大正デモクラシー」期に見だし、特にさまざまな「中間団体」の意義に光をあてています。武藤さんの論説の黎明会もそのような無責任な利己主義への傾斜を防御する装置としての機能があったのかなかったのか、という論点とともに読むことができます。他の方々の論文も興味深いもの多く、意外と思われるかもしれませんが、福間良明さんの「民族知の制度化ー日本民族学会の成立と変容」が岡正雄ウィーン学派の動向を伝えていて有意義でした。岡正雄ウィーン大学のある未公刊の博士論文に前から興味を抱いていましたので。


 さて猪木先生の問題意識をより詳しく知るにはやはりトクヴィルの『アメリカのデモクラシー』を読むのが近道でしょう。核心部分の第二部も半分は翻訳がでました。それとトクヴィルの最新の研究書としては以下の宇野氏のものがあります。

トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社選書メチエ)

トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社選書メチエ)