モーニング娘。一部分まとめ


 コメント欄の展開を考えると面白くなっていかない方の話題になりますが、それでもごちゃごちゃしているので整理のために。


山形さん曰く
:費用構造だの競争条件だのは、ぼくのおたずねしていることとは何にも関係ありません。ではですね、韓リフ先生の例で、ハロプロがその高橋とか道重とかを独立で売り出すことになぜかこだわったとしましょう。費用も競争もまったく同じ。条件はすべてそのまま。でもたまたまハロプロでの担当者がそこで個別売り出しに固執したとします。

まとめ売りすれば追加で余剰200円分が懐に入るのに、このハロプロは敢えてそれをしなかった(単純にバカだから)とします。

その場合でも、単に消費者余剰が消費者に残るだけなので、何ら不合理性はない、というのが韓リフ先生の立場ですね。しかし、このハロプロは落ちている金を敢えて拾わないような真似をしているわけで、非効率ではある、というわけですね。:


僕は何度も書いたけれどもエントリーの例では効率・非効率、合理・不合理の議論はできないと思っています。そこを岡目八目といわれるとがく〜っときましたが。ただそれでもできる余地があるかもしれない(僕が理解してないだけで)。しかしまあ、僕は以下の横槍さんが山形さんの問いへの回答(僕も同じことをいってるだけですが)にふさわしいものだと思います。

横槍さん曰く
:あと、ソロ二つで売るときとユニットで売るときの費用の違い、また買う側の効用の違いに触れられてないと、非効率かどうかは言えないのでは。前例ではどちらも買う側は分離可能(単なる足し算)の効用みたいですし、売る側の費用はゼロのようなので、総余剰からするとどちらの売り方も変わりません。更に効用もどうやらいくら払ってるかだけで考えているようなので、配分の観点からは(効率的な配分を達成するには事後的に金銭を移転すればいいだけなので)シリアスな問題ではないと思うのですが。なので、尚更、「非効率」と「不合理」の違いというのは、(言葉の誤用がなければ)この話から行き着きにくいと思います。:


 教科書風の解説ですと、マンキューの『マンキュー経済学 ミクロ編』がいいと思います。同訳書437-8頁。
 そこでは独占供給者が独占利潤を得る(僕の例ではハロプロが「お得感」の独り占めをする)ことが効率であるかどうかという問題(また同様に非効率か不合理かの違いの問題)とは直接関係ないことが示されています。


 一部分引用しておきます。

「独占企業が公衆を犠牲にして「不当に利益を得ている」と批判したくなるかもしれない。そして実際、独占企業はその市場支配力のおかげで大きな利潤を得ている。しかしながら、独占の経済分析によると、独占企業の利潤そのものは、必ずしも社会にとって問題とはならない。独占市場における厚生は、すべての市場と同様に、消費者の厚生と生産者の厚生の合計である。独占価格のために消費者が生産者に1ドル多く支払うと、消費者の厚生は1ドル悪化するが、生産者の厚生は1ドル改善する。ある財を消費する消費者からその財の独占企業の所有者にこのような移転が起こっても、市場の総余剰(消費者余剰と生産者余剰の合計)は影響を受けない。言い換えれば、独占利潤そのものは経済のパイの大きさが縮小することを意味しない。それは単に、生産者への配分が大きくなり、消費者への配分が小さくなるだけである。消費者が生産者以上に価値があるという何等かの理由がないかぎり、独占利潤は社会的問題ではない。それは経済効率の領域を超えている判断である」(邦訳437-8)


 このマンキューの発言が横槍さんと同じで、なおかつ僕の設例を表現するものと読み替えることは簡単でしょう。つまり僕には山形さんの問いは終始一貫この「超えてる判断」をせまっているように思えたのでした。


 では効率と非効率の議論はどんな文脈でなら語れるのか? それについてのマンキューの説明です。

 「独占市場の問題は、企業が販売する生産量が総余剰を最大化する水準に満たないために生じる。死荷重は、経済のパイが結果的にどれだけ縮小したかを測っている。この非効率は、独占企業の高価格と結び付いている。企業が限界費用を上回る価格をつけると、消費者の購入量は減少する。しかし、それでも売られることで得られる利潤は問題ではないことを覚えておこう。問題は非効率的に低い生産量から生じるのである。別な表現をすれば、高い独占価格によって消費者が財を購入することを思いとどまらなければちょうど消費者余剰の減少分だけ生産者余剰は増加し、総余剰は博愛的統治者によって達成されるのと同じ大きさになるだろう」(邦訳438)

赤字の部分が横槍さんが書かれたように僕の例では考慮されてないのでそもそも効率性・非効率性そして不合理などとの違いの議論ができないのです(それでもできる、という可能性はあるのかそれで一昨日は悩んでました。ただバカ=不合理 だけなら語れるかなあ、とか。でもそれは山形さんの質問の中にすでに入っているのでorz)。


 あと山形氏がyyasuda氏のようにすでに田中の例をベイジアン合理性を前提に読み替えて議論しているんだから、すでに田中・横槍風の前提を採用していない、そういうのは議論の転換を読めない岡目八目である、といわれるならばまあ物言いはともかくとして、議論をする前提がすれ違っているわけですが。そのときはむしろ山形さんの方がベイジアン型の期待効用を想定していると明示しないといけなんじゃないでしょうか(これ批判しているわけではなくお願いw それと今回の山形さんの質問がないとこんな思いがけない新年顔見世大興行がはてブやTB含めて実現できなかったので感謝。考える題材も得たし)。僕の例ではそんなの想定してないからです。皆さんは上記のマンキューの経済学を読まれることをおススメします。


 なおモーニング娘。経済学のコメント欄の現状での最後の方のやりとりの方がむしろ面白いと個人的には思ってます。


マンキュー経済学〈1〉ミクロ編

マンキュー経済学〈1〉ミクロ編