面白さと奇想のブレンド:大竹文雄編著『こんなに使える経済学』


 総勢23名がネタを持ち出して書いた刺激的なエッセイ集。一部は『エコノミスト』のときに読んでいたのですが、こうまとめてでると便利。


 しかし表題にもしたけれども奇想と面白さが絶妙に交じり合い、「使える」というよりもネット的には「こんなに炎上経済学」とした方がいいほど実は論争提起的な本でもある。


 

こんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書)

こんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書)


 本書は自分の「常識」なり「異論」なりを出して(脳内w)議論を楽しむ効用があると思う。以下はただの感想をいくつか。


1 中毒財(タバコ、パチンコなど)を消費する人は幸福度が低い。さらにギャンブル、飲酒、喫煙はかなり高い相関関係だという。それは実証の問題にしても、「彼らにとって、中毒財の消費をキッパリとやめることは非常に難しい。略 パチンコは先月でやめたはずなのに、店の前で軍艦マーチを聞くともう辛抱できない」。

 細かいところで恐縮だが、いまどき軍艦マーチ流しているパチンコ店は少数派ではないのか? 僕はパチンコをやらないので詳細は不明だが、少なくともさまざまな駅前にパチンコ店があるが、最近はそこから漏れ流れてくる音楽自体がひとつの特徴付けをもっていないのでは(注意して聞いたことないのだが)。だいたいエヴァとか冬ソナとか水戸黄門とかの世界に軍艦マーチって……。


2 腎臓交換メカニズムで「贈与する意思」の再分配という考えは魅力的ですが、例えば欲望の二重の不一致がどこまでこの事実上の(ペア間の)物々交換で融通がつくのかいささか不安です。例えばいつも疑問に思うのですが、献血でもなぜかいつもB型は足りてて、A型やO型は不足しているのが常態ではないでしょうか?(これただの観察ですがこれも経済学的に何か理由があるのかないのかそこも知りたい。それともB型は利他的かお人よしか、あるいはA型は金銭でしかわりと動かないのか否か) もちろん腎臓移植は血液型だけではなく多様な適合が必要なんでしょうけれども、「贈与する意思」にだけ期待するのではなくやはり金銭の報酬性を大幅に採用したほうが日本の実情に適合するのではないでしょうか。


3 容姿がビューティープレミアムを生み出す。これがもし問題だとすれば事後的に累進所得税の再分配で対処とのこと。でも思うのですが、「容姿」ってなんでしょうか? 男女問わず「容姿」はかなり個人の中でも裁量の余地がありますよね。同じ美しさと判定される化粧美人と素の美人がいたとして、そのビューティープレミアムは直接には所得の高低に応じて判断されるでしょうから、いまはこのふたつのタイプの美人の所得は同じ、よって課される税率も同じとしましょう。

 しかし化粧美人の方は化粧品に多額の支出をしているので、この場合にはこの化粧美人の化粧品支出には減税などの措置が必要ではないでしょうか? また整形美人の場合では整形支出の非課税枠や補助金を与えるなどしないと、素の美人との不平等が生じるのではないでしょうか。


それと「奇想」部分になると思うのですが、英会話教師の写真をみて「容姿」を判定されるのは結構ですが、上に書いたようにその場合の「容姿」はなんなのか、そこにプレミアムをつけてなにか政策評価の基準にする際に注意すべきものはなんなのか、まったく配慮がないということですね。化粧とか整形とか写真写りがいいとか、その「容姿」が、本章では知力体力など生まれつきの素質と同列で論じられて、そこから事後的な所得への課税が勧められているわけです。「奇想」というよりも写真での「容姿」から生来的な「容姿」に基づく政策提言を導き出すというのはあんまりに使えないっていうか、それくらい気が付いたら……orz


4 「できちゃった結婚」は「そうでない結婚」よりも出産時期を「考える余裕がないままに妊娠」したので両者には出産月ではっきりした違いがある。前者にくらべて後者は遅生まれの子を出産したり(その子が教育的な利益を得られやすくなるように)、あるいは年末に多い(手当ての額が大きいから)など「選択」して出産している、とのことです。


 まず僕が気になるのはWikipediaでも指摘されてますが「できちゃった結婚」にはマイナスのイメージがあると指摘されてますし、それに加えて本書のように「できちゃった結婚をした親は、その言葉の由来からして「何月に生もうか」と考える余裕がないまま妊娠したと思われる」とあります。これはあたかも「できちゃった結婚」のマイナスイメージに「考える余裕のない人」という著者たちの価値判断を一方的にレッテルしているといえ、僕は少なくともこの種のレッテル貼りには慎重にしたいのですが。


 ところで本当に「できちゃった結婚」は「考える余裕がないまま妊娠」したのでしょうか? 例えば妊娠が判明したときに、出産するか堕胎するか、の選択があったかもしれません。言い換えると「考える余裕」があったかもしれません。「考える余裕」はあったが、その際にこの親は予算上の制約、愛へのコミット、産み月を調整するために出産を断念することへの(さまざまな感情を伴った)回避、を行ったのかもしれません。「考える余裕がない」=無思慮であるか、さまざまな制約やコミットメント問題に対処して決断した=思慮した、かどうかの前提の違いはかなり大きいと思いますがどうでしょうか?


 ところで99頁の図表をみての感想なんですが、「そうでない結婚」は出産月はほぼ平準化されている印象です。「できちゃった結婚」は周期性?が存在しているような印象です。あえて前者で周期性をさがせば、やなり2月が谷で4月が山ぽくみえます。しかし4月と3,五月とはポイントからいってもほぼどうということはない差なのです。つまり平準化されている(=制度の与える歪みが見えにくい)ということの裏返しですが、これでは「相対年齢効果」がいえないので、比較対象として「できちゃった結婚」を出産月を考慮していない人たちとして持ってきて両者の差で推計したわけでしょう。


 話は「そうでない結婚」の方が日本の教育制度(遅い生まれの子の方が早生まれの子よりも得)が歪みを与えているということが著者たちの主張だと思うのですが、むしろ「できちゃった結婚」の方の見た目でわかるはっきりした周期性の原因の方が気になりますね。まあ平準化も周期性もただグラフみただけの印象ですのである意味いいかげんな感想ですが。


5 人口転換をもたらしたのは義務教育の普及による子育てコストの増加である、という主張がありました。これは興味深いシナリオです。ただ本書を読んだ範囲で疑問に思ったのは、日本の初等教育の就学率は1886年に義務化、1900年までには80%に達していたそうでして、人口転換のおきた1913〜50年とはズレが顕著です。105頁のグラフをみると確かに義務教育導入・普及の段階で人口増加率はそれ以前よりもわずかに低下しているようですが、それでも「人口転換」とまではいかないようです。なぜ「人口転換」が起きたのか従来の説についての説明がほとんどなく、いきなり妙に時期的にはずれたグラフをしめされて義務教育化が人口転換を生み出したと読者にせまるのは私には納得できません。新書でも(他仮説の検証、グラフと説明の齟齬の解消など)一定の説明を尽くすべきです


6 「サザエさんの本当の年齢を知るには」という部分ですが、まじめな?話は本書を読んでいただいて、本書では解が示されてないのでネットでちゃちゃちゃと検索したところ、アニメは24歳、原作は27歳だそうです。まあ、誰かのパロディにアップするとたらちゃんの目じりに老人特有の皺があるとかありますがw ゴルゴ13同様にいつまでもお元気でいいですね ←本書とほとんど関係なしw


まだ続くかも