合評会『カール・マルクス』(佐々木隆治、ちくま新書)経済学史学会関東部会

 日本経済思想史をやっているとマルクス研究はマストである。といってもそれほど深入りはしていないが。今回の佐々木隆治氏の『カール・マルクス』は、新MEGA研究、とくに晩期マルクスのさまざまな抜粋ノートの研究成果を反映した新書である。最近の欧米のマルクス研究の動向をフォローする点でもいい機会だったので参加。後半の『人口論ユートピア: マルサスの先駆者ロバート・ウォーレス』(中野力、昭和堂)は、明らかに重厚な専門書であるが、月曜の企画のための勉強時間を確保したいので今回はスルーした。残念。

 佐々木氏の本については、詳細は本書を読んでいただきたいが、コメンテーターや、僕も含めて会場からコメントした人達の指摘した共通点は、以下の三点ではなかったか。

1)本書の指摘するように、(著者が依拠した新MEGA研究によって)晩期マルクスの立場はそれほど「発展」もしくは「転回」したものとして明らかになったろうか? むしろ『共産党宣言』以降から晩年まで、自由な人達の連合体(アソシエーション)と物質代謝の問題を一貫して保持していたのではないか?  

2)本書ではアソシエーションに大きな期待がよせられているが(さらに本書で行われた「共同体」との用語的な同一化が論点としてある)、歴史的・実体的な前近代的共同体は、本書でいうような自由な人達の連合体ではない。権力的な格差に基づく支配の体制ともいえる。

3)本書では、アソシエーション(繰り返すが「=共同体」とも本書では処理されている)は物質代謝のかく乱を抑制するシステムとなっているが、残念なことに理論的には市場を優越しない。したがって物質代謝のかく乱そのものを、アソシエーションもまた生み出す理論的可能性が大きい。これは歴史的・実体的な意味の2)の指摘とともに、本書での(マルクス読解を通じた)アソシエーションへの期待を否定するには十分に近いものを個人的には感じる。

 余談だがアダム・スミス研究の大御所の方々(和田重司先生、星野彰男先生、新村聡先生)が積極的に発言されているのに注意がいった。