価値多元社会に関わる論点


 これは東京河上会でも書いた話題(http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi-ver2/20070916/1189876824)ですが、生存権の経済学的基礎を考えていくと価値多元な討議の過程を論じていかないと研究が先にすすめないと思うのですが、そのうちに価値多元的な空間(社会でも国家でもコミュニティ、はては内的な自我でも)における「癒し」だとか心理学的な療法の問題につきあたっています。います、というのは実は僕の研究履歴でいえば古いはなしで、リフレ政策論争にかかわる前には生存権の経済学基礎を自分なりに深める過程でその論点には行き着いてました。いわば先祖がえりしてまたはじめに戻ってきたわけです。この論点をわかりやすくいえば、価値多元な空間の中でいわばカルト的な価値にこだわる人とどのように対するか、という問題になっていくかと思っています。


 まあ、なんのこっちゃか、と思われているでしょうけれども、いつかまた本格的に書くとして(笑)、今日、書架からとりだした参照文献で、なんとなくわかっていただければ、と。


 まず邦訳文献では、アルベルト・メルッチの『現在に生きる遊牧民』がこのカルト的価値固着への療法的対処として注目できるでしょう。もう7年くらい前に読んでインスパイアされたのですが、それからけーもう活動に走ったのでこの時点でストップしたままでした。僕がこの本を評価していることはちょっと意外な感想を与えるかもしれませんが。


現在に生きる遊牧民(ノマド)―新しい公共空間の創出に向けて

現在に生きる遊牧民(ノマド)―新しい公共空間の創出に向けて


 メルッチの日本の紹介者は山ノ内靖先生が有名ですが、僕は山之内先生の本は参考にはなりますが、かなり立場を異にしています。むしろ本家?のメルッチの英訳のある次の著作などは、現代のアイデンティティの危機や日常生活のストレスまで多様な視覚からの心理療法的問題を提起していて興味深です。


The Playing Self: Person and Meaning in the Planetary Society (Cambridge Cultural Social Studies)

The Playing Self: Person and Meaning in the Planetary Society (Cambridge Cultural Social Studies)


 価値多元の空間をカルト的な問題、そして洗脳、自我の多元性にまで注目しているのは、(応用から考えれば経済学者もエルスターやエインズリーらの業績もあるでしょう)まずロバート・リフトンの一連の業績が重要でしょう。例えば中国の戦後の共産党による洗脳について、また日本のオウム真理教の問題についてなどは重要な実証研究です。僕はこれらの研究が労働問題や社会保障問題に役立つと理解しているのです。その研究を中断した7年前に買ったままにしているのがリフトンの理論的な集大成とおぼしき以下の著作。


The Protean Self: Human Resilience In An Age Of Fragmentation

The Protean Self: Human Resilience In An Age Of Fragmentation


 またかのコルムの精神分析と経済学の関連なんかも面白そうですが。もしメルッチ関係でこれ読んどけ、というのあれば教えてください。リフトンでもよしということで。テーマ的には極端な領域では、カルト的な価値への固着が生存権と対立する、というときの心理療法の社会的意味を考えているわけでございます。


 経済学的にさらにわかりやすくいえば、下記の本でクリューガーがとりあげた問題への対処をさらに考えているといえましょう。

http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070918