クルーグマンの反論から


 遅れましたがようやく論争をとりあえずフォローしました。


 http://www.nybooks.com/articles/20015


 以下のクルーグマンの反論をみると、論点がより明確化されてきた感じで、要するに「政策レジーム転換」が重要ということでしょう。日本の金融政策も速水前総裁のときは量的緩和政策の採用をしてもご自身が政策転換の重要性を否定されたり、期待に訴求する経路を根絶しようと努力されているようにしか思えないなかで、福井総裁の就任とその直後の積極的な量的緩和政策の採用は、前も書いたけれども野口旭さんや竹森俊平さんに政策転換として評価されたわけです。


 残念ながらシュワルツとクルーグマンにはこの福井総裁就任後の政策転換(後にそれが不十分だと批判されていくわけですが)への評価がないことです。ここらへんは「デフレ脱却」を明白に意図していたテイラーの回顧録の存在などがありますが(歴史研究ではテミンの著作や論文参照、昭和恐慌ではもちろん『昭和恐慌の研究』)。


 ここらへんを考慮すると理論的な枠組みだとやはりクルーグマンの方が納得のいくものですね。とか書くと「クルーグマン狂徒」(といわれるので、よくこのエントリーも読んでおけとしかいえんでしょうねえ笑。なんで僕らがそもそもの初期からマネーサプライ論争を背景にして、その後クルーグマンの論文を契機に、やがて(僕自身でいえば2001年の『構造改革論の誤解』(野口さんとの共著))「インフレ目標付き量的緩和政策」を採用したのかを理解してほしいですねえ。このブログでも何度もこの話題を書いているわけですが。


 まあ、日本の「特定アジア」ならぬ「特定ブログ」笑ではよく散見されるのですが、(学ぶ気もない)誤解や誤読やへんてこな図からの解釈や、日本語の無理解も結局は自分にはねかえってくるわけですから、基本は放置でおかわいそうに、というしかないわけですが 笑。


 フリードマン自身の主張をどう解釈するかという問題はとりあえず無視しましたが。これは経済思想史の問題としていつか見直してみたいですね。