本上まもる『<ポストモダン>とは何だったのか』


 ちょっとこれからこの手の本をまとめ読む予定。坂本龍一への愛と憎しみの物語(半分嘘)。本書で整理されている東三図式(勝手にいま命名)である「論理的脱構築存在論脱構築ー郵便的脱構築」というのを知る。いまさら何をいっている、と思われるかもしれないが、リフレ派にとっての郵便的脱構築というのはここですべてを尽くしているわけで。


“ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書)

“ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007 (PHP新書)


 この三図式の中に、本書で何箇所か言及されている西部邁の立場を重ねると面白いかもしれない。西部は本書にもあるように(文化的)相対主義に批判的であったが(これは東三図式の論理的脱構築)、本書で描かれる次のような立場を採用している。


西部邁は自らを保守主義者と名乗っている。彼によれば、全体主義的な権力の介入を排する市場原理に基づいた自由主義の立場がまずとられる。ここまではハイエクと同じである。しかし、市場原理だけでは自生的な秩序を壊すほどの暴走が起る恐れがあるためなんらかの制限をつけねばならなくなる。そこで自生的秩序の根拠として、国民国家の歴史的伝統が持ち出されてくる。西部によれば、伝統を省みないアメリカは左翼国家であり、反米は保守主義の作法となる」(164)


 市場原理の暴走の可能性=論理的脱構築 → この段階でとどまるとそれはニヒリズム
 西部の立場は国家・伝統のフィックション性を認めつつも、「西部の思想的基盤に生活実感の共同体や農本主義がある」(172)


 この本上の解釈する西部の立場は、本上が行ったわけではないが、後期ハイデガーの東三図式における「存在論脱構築」(存在の効果としての人間。特定の言語や特定の詩人を重視することでの特定の集団への自閉、特定言語の重視による独逸民族主義への親和性)に近いように読める。これは存在論脱構築はただの俺様原理主義=価値相対主義の変種というかそのもの、にしか僕には思えないのだけれども。


 西部氏についてはそのうちまとめて読む予定。最近、でた簡略な西部論を収録している鷲田 小彌太『昭和の思想家67人』もまた西部は「知識人」というミミッチい一部の人間しかわからないジャーゴンに日本の戦後の問題をすべて凝縮してしまってて、傍からみるとわかんねえ、と批判していることにも僕はシンクロしているように思える。


昭和の思想家67人 (PHP新書)

昭和の思想家67人 (PHP新書)


 本上まもる氏のブログhttp://blog.livedoor.jp/kay_shixima/。結構おもろい