「期待」をめぐる武谷三男的なる思考vs構造改革主義の思考


 昨日書いたエントリーにも少し関係あるんですが、「期待」expectation(「予想」でもいいですが)をコントロールする、あたかもそれを人が車を操縦するようにできるのか否か、という疑問を持つことは自然なことだと思います。実をいうとこの僕もどこかで前も書きましたが、自分が95年の論文に金融危機による経済変動の振幅を小さくするには、ベースマネーのコントロールだけではなく、デフレ期待を解消する期待のコントロールが重要である、と書いたにもかかわらず、それを深く考えることはあまりしていませんでした。ですので01年の冒頭に、野口旭さんがインフレターゲット政策をデフレ期待とデフレ脱却への処方箋として説いたときには非常に胡散臭いものに約2〜4時間ほど思っていました。話を猪瀬直樹事務所の一室で聞いて(聞いているときは「なにバカなことをいっているんだ、人の期待を日銀がコントロールできるはずないだろ」)、家に帰るまでには「あ、僕(たち)が昔書いた論文の結論じゃないか!」と思いつくまでしばしの間があったわけです。ですので、期待に影響を与える政策についてためらいがあるのは、僕も数時間にせよ同じ気持ちを抱いていたのでよく理解できるわけです。なおデフレ期待からインフレ期待への反転とその後のリフレ過程の実現については、中央銀行のコミットがきわめて重要なものになります。もちろんこれが公衆に信用されなかったり人が想定外なほどユニークであったり(いまこの瞬間のことしか判断できない)すれば、このインフレターゲット政策の効果は減衰するでしょう。もちろんそのときは、僕みたいないいかげんな経済学者*1は、次の手段を考えるだけです(財政、政府通貨、為替介入などなど)。


 さて本題ですが、湯川秀樹の中間子理論の共同研究者に武谷三男がいます。武谷はマルクス資本論の方法論から中間子理論の構想を思いついたと公言していました。それに目をつけたのが、当時、マルクス経済学と近代経済学との総合を目指していた杉本栄一と、また構造主義的なケインズ理論を展開していた都留重人でした。


 彼ら三人が中心となり他の面子も加えた座談会が戦後まもなく行われ、それは『自然科学と社会科学の現代的交流』(理論社、1949)として世に出ました*2。そしてこの座談会で武谷と都留が最も先鋭に対立したのが、経済学における「期待」をめぐるものだったのです。都留は「期待」を明示的な形で理論にいれて、それを操作変数とすることに強く反対しました(例えばヒックスの「期待の弾力性」など)。それに反して武谷は「期待」を理論的に構築できる可能性を認めた上で、期待は人間の思い込みとかそのような他人から伺いしれない内省的なものではなく市場のデータから観察することができるものであるはずだ、と主張しました*3


 これを調停しようとした杉本は期待は産業などの構造から規定されるものである、と告げました。これに対しても武谷は、産業構造的なものから一部分は規定はされるかもしれないが、人々の観察可能なデータから期待がどのような方向に動くのかを知ることができ、もちろん一定の条件の下で操作可である、と指摘したのです。


 僕はこの武谷の方法論的態度に非常にいま興味を抱いています。経済学の非専門家の方が経済学者よりも常識にとらわれずに、数歩も先をいっていた印象を受けたのでした*4

*1:できれば「いいかげん」ではなく「実践的」であると書きたいのですが 笑

*2:この本は日本経済学の歴史の中で完全に忘却されていたものでしょう。僕は小宮山量平の回顧録で存在を知りました

*3:現在でのインフレ期待をみる観察可能なデータのひとつとして本ブログでもリンクしているブレイク・イーブン・インフレ率があります。http://www.mof.go.jp/jouhou/kokusai/bukkarendou/bei.pdf

*4:いまとなってはどうでもいいことですが、杉本と都留はマルクス的要素から近代経済学を取り入れる路線を採用していて、それに力を貸してくれるとの算段でマルクスの方法論から学んだとする武谷との座談会を組んだのでしょう。しかしそこで彼らの総合路線で最も邪魔に思えた「期待」要素を武谷が自然科学の方法論から肯定的に評価したのやや皮肉なことだったでしょう