書評:加藤涼『現代マクロ経済学講義』


 先週、『週刊東洋経済』に掲載したもの転載。

現代マクロ経済学講義―動学的一般均衡モデル入門

現代マクロ経済学講義―動学的一般均衡モデル入門

『現代マクロ経済学講義』
 加藤涼 著

 日本語オリジナルの現代マクロ経済学の教科書はふたつの興味深いバイアスをもつことが多い。ひとつは日本の学界と論壇におけるマクロ経済学の現状への認識の遅れを正すために生まれたものであり、もうひとつは日本の「失われた10年」という長期大停滞という政策問題への立ち位置によるものである。前者は日本の経済論壇でままみられる「ルーカス批判」への無理解によるものである。「ルーカス批判」とは大まかな意味では、人々の経済行動のルールが変わってしまうと、既存の安定的な経済法則を前提にした経済政策の評価が通用しなくなることを意味する。日本で一時期流行した「合理的期待形成学派」批判という意味のない議論によって、この「ルーカス批判」が単なるマクロ経済政策の無効化命題としてすり替えられてしまったことがある。今日でもこのような主張に立脚した「主流派経済学」批判に魅かれる人は多いが、おそらく現代マクロ経済学の基礎である「ルーカス批判」を理解してのものではないだろう。本書はまず現代マクロ経済学の基本中の基本である「ルーカス批判」の意義を丁寧に説明し、「ルーカス批判」を回避するためのミクロ的基礎をもった現代マクロ経済学の主要トピックスを手際よく解説する。その講義の調子は非常にこなれたもので、また数式の展開やいくつかの注意書きも優れたものである。本書の基本的構成は、すべての現代マクロ経済学は、「実物景気循環理論」(RBC)という共通のピザ生地の上に市場の不完全性などのさまざまなトッピングを配した共通のモデルをもとに議論されているものであり、これまた日本の経済論議や授業などで頻出するケインジアンマネタリスト(あるいは新古典派経済学)という考え方は誤った二分法である、と断罪している。このような極端な主張は分析用具として経済学をとらえたときには正しい。しかし分析用具の共通性がかならずしも価値判断や現実認識の差異を解消することにはならないことに本書はわりと無頓着である。
 また「失われた10年」という政策問題に積極的にコミットした内容になっており、主に「市場の失敗」という仮説に限定してコンパクトに書かれている。ただしそのことが本書の短所にもなっている。「政府の失敗」(例えば日本銀行の失敗)という説明を「十分理解できる考え方」であるとしながらも著者自身の立場を配慮して省略していることである。共通のピザ生地の上にたつことを謳った本書の趣旨からもこれは惜しいことである。いくつかのバイアスはあるが、日本の現代マクロ経済学の理解を大幅に前進させた努力を評価すべきであろう。