キム・ギドク『絶対の愛』と清算主義的なものの破綻


 原題は『時』。時の経過によって恋人の肉体は飽きられてしまうのか? この問いに真剣に向かってしまった女性が整形手術で別人の容姿に生まれ変わることで、恋人の心をつなぎとめることができるのかどうか。次第に「自分」であるとは何かを喪失してしまい、物語は誰がどうみても安部公房の『他人の顔』のテーマに接近していく。二年前に勅使河原宏の『他人の顔』を見たけれども、勅使河原の作風を静とすれば、キムの方は動的。それだけ時の経過が画面にらせん状のように迫ってくる感覚がある(としか表現できないし、物語りも螺旋構造になっている。実際には海岸の彫刻と同じくその螺旋は途中で途絶えてしまっていて、物語りの結末を暗示している)。


 僕はキム・ギドクの映画は清算主義イデオロギー(への事実上の批判)からみているわけで、この映画でもその視点は健在だと思う。清算主義の破綻。
 

 ところで不確実なソースで申し訳ないけど、キム・ギドクは韓国社会に違和感を抱いているらしいけれども、そのこともこの清算主義イデオロギー批判からなんとなくわかる気がするのだが。


 VCD版での英語字幕での視聴。東京地区だと8月まで待たなくてはいけないので我慢できず購入。しかし廉価版(1000円ほど)なのに画像はかなりいい。これでほかの作品も全部だしてくれたらいいのだけれども。