小宮隆太郎のマルクス主義批判


 以前、小宮氏の古い著作で「現代資本主義の展開 マルクス主義への懐疑と批判」という『エコノミスト』(70年11月10日号)所収論文があることを書きましたが(http://reflation.bblog.jp/entry/200665/)、それを紹介する、としたままよくあることですが(笑)失念してました。以下に簡単に紹介。


 全体の構成は「経済学的側面」「社会学的側面」「政治学的側面」の三部構成。

 経済学的側面の分析は、主にマルクス主義の「独占資本」や「国家独占資本主義」批判に紙数を割いている。特にこれらの独占資本論が立脚している特定企業の独占的高利潤の存在を小宮論文は否定的にとらえる。また独占資本と「癒着」している金融資本についても「独占」や「集中度」の高まりはン見られず、むしろ戦後はより競争的になっている。ここで小宮氏は事実上のメインバンクによる産業「支配」にも疑問を述べていて、今日の三輪芳朗氏らの主張の雛形になる議論を行っている。


 あと小宮氏の「帝国主義論」批判は歯切れがよいものです。

「ところが、このような帝国主義的侵略は、資本主義の発展の必然的な結果ではない。マルクス主義者たちは、総じて「歴史的必然性」がお好きなようだが、植民地への資本輸出とか、軍事的支配とはか、本国経済の発展ーマルクス的にいえば、資本の拡大再生産ーの必然的な結果でもなければ、本国経済の発展にとって必要なことでもない。アメリカ経済の全体の動きにとっては、それはとるに足らぬことで、キューバがアメリカの帝国主義的支配を脱却して、アメリカと手を切ったところで、それでどうということはない。 (略)一時的な調整はともかく、そのために経済発展が長期的に制約されるということはなかった」

と述べています。


 この「独占資本」+「帝国主義」論がドッキングした経済軍事化の必然性(独占資本は過剰生産が必然)ゆえに戦争や軍事的緊張を生み出して、軍事支出を行い、軍需産業を維持して不況回避という話題も小宮氏は触れています。これは日本のケインズ派の一部では戦前からいわれていた過少消費論や長期停滞論にもドッキングしていると小宮は指摘しています。


 しかしむしろ軍事支出の膨張は経済成長にマイナスを及ぼすことが経験的に確かであるから、この経済軍事化必然論は理に合わないと小宮は主張しています。さらに日本の経験では、軍事膨張や植民地拡張は、「薩長閥の政治家・軍部・右翼、さらには国民の中に根差していた対外膨張主義国家主義であって企業あるいは企業グループの経済的動機ないしイニシアチブが重要な役割を演じたとは思わない」と述べています。戦前の財界・財閥の政治的影響力はかなり制限されていた、という指摘でしょう。


 もちろんいくつかの論点は史実とともにより検証しなくてはいけないでしょうが、今日流の「帝国」論も事実上、経済学的な発想では、昔のマルクス主義的帝国観とかなり共通している(=純経済論理の軽視ないし無視)と思われますから、この小宮論説の基本的な趣旨はいまでも有効でしょう。