高行健 『ある男の聖書』


 ある男の人生を過去=「彼」、現在=「おまえ」と書き分け、それが交錯するなかで光と影の淡いとしての人生の実存を描く作品。この淡いを鮮明にしていくのが、本書でも力点が置かれている性的体験の描写である。「彼」が経験した文化大革命の時代は、単純なまとめを拒否するほど奥深く錯綜している。紅衛兵の被害者であった立場が、やがて造反派として権力を行使する側にたち、また逃亡する立場に変転していく。その途上で出会う女たちとの交情と現在の女との交情とが重なることで、この逃亡劇(やがて「亡命」に至る)が根無し草や暗い奈落でもなく、明るい陽光と肉体の充足と内面の自由との確たる物語であることを保証している。翻訳で500頁近くあるけれども一気に読めてしまった。著者は2000年度ノーベル文学賞受賞者。


ある男の聖書

ある男の聖書