ボ版・経済論戦その5(リフレ主義)


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5 リフレ主義の立場


 さて以上の構造問題主義、反経済学、清算主義が、(もちろん従来もそうだったが)サブプライム問題以後において日本の経済論壇をにぎやかなものにする可能性が大きい、と私は理解している。そのことは特にサブプライム問題顕在化前後の経済論戦をとりあげた第2章や3章で再度詳細に検討していこうと思う。ここではいままでとり上げなかった経済学の立場を紹介する。それは不況に直面すれば、金融緩和や財政出動を行い、失業や企業の倒産を防ぐ、というマクロ経済政策を支持する考え方であり、(日本の経済論戦はそうではないかもしれないが)欧米ではごく普通の経済思想と経済学のあり方である。このごく普通の経済学のあり方を、日本のように構造問題主義(これは新古典派経済学の誤った援用ともいえる)、反経済学、清算主義の隆盛の中では、あえて「リフレ主義」(竹森俊平『経済論戦は甦る』に由来)と旗幟鮮明にしたほうがわかりやすいだろう。だがあくまでもこのマクロ経済学こそ国際的な意味でもスタンダードな経済学であることは間違いない。このように一々断らなくてはいけないことも日本の経済論壇の不幸である。

 さてリフレ主義とはどんなものだろうか。それは日本の90年代から今日まで続く長期停滞を総需要(消費・投資など)の不足に基づくものとし、その解決には積極的な金融政策が対応すべきだとする立場である。さらに私は財政政策も(深刻な財政赤字という制約の中でも)工夫次第で適用すべき政策オプションだと理解している。そして長期停滞のシグナルともいえるデフレーション(デフレ)を解消して、完全雇用を達成し、低インフレ(論者で違いがあるが概ね1〜3%の範囲が多い)に経済を安定的に移行すべきだという立場でもある。
 例えばこのリフレ主義からは、サブプライム問題発覚前までの一時的な景気回復(それは先にも言及したようになぜかセーフティネットの全面的張替えなしでも不良債権問題が解決した時期にあたる)がなぜ実現したかを、野口旭氏は以下のように説明している。

 「日本経済の二〇〇二〜〇三年以降の契機回復の様相については、ほぼ次のように整理することができる。まず、その最大の牽引車は、外需の拡大であり、それをもたらした世界的な景気拡大であった。しかしながら、国内のマクロ経済政策がリフレ的な方向へなし崩し的に転換されていたということも、同様に重要な意味を持った。それは具体的には、二〇〇三年秋から〇四年初頭まで行われた、財務省の巨額為替介入と日銀の金融緩和の同時遂行という形でのマクロ的政策協調である。つまり、今回の日本の景気回復と国内のマクロ経済政策の両方に支えられて、かろうじて定着したのである」(『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』20頁)。

 リフレ主義の立場をさらに理解するために、「失われた15年」という大停滞がなぜ起きたかという問題を考える。これについては、プリンストン大学ポール・クルーグマン教授の「子守協同組合」の話がなにをおいても抜群にうまく説明している。私はこれを最近著『不謹慎な経済学』(講談社、2008年)で説明した。この説明は手前味噌であるが、非常に便利なので本書にも一部修正して再録しておく(表現・内容は講談社版の方がボツ版よりも優れているので関心のある読者は講談社版を参照されたい)。このクルーグマンの話は子どものいる夫婦が何百人か集まって、自分たちが用事(夫婦のデートや買い物や緊急の用などなど)があるときに一晩子どもを他の家族が面倒をみるという「協同組合」を立ち上げたというものだ。これは現実のエピソードをもとにしている。

 この子守協同組合のユニークな点はクーポンを組合員に配り、子守をしてもらう人が子守をする人にクーポンを手渡すというシステムを開発したことにある。このクーポンのおかげで外出することが多いときにクーポンを多く使い、他方で外出することが少ない時期には少しクーポンを多く貯めるために子守をすることが可能になった。

 ところがこのクーポンシステムはうまくいかなくなった。組合員の多くがよりクーポンを増やしたいと思うようになり、クーポンを使う人たちをはるかに上回ってしまったのである。そして子守協同組合の活動は「停滞」してしまった。

 この状況は簡単に経済の話題に読み替えることができる。クーポンをより多く持ちたいと願った人は、実は老後が不安でより多く貯蓄している人や、経済の先行きが不透明なので消費を手控えている人として考えることができる。その反対にクーポンをより多く使いたい人は、一種の子育てに投資をしている人とも考えられる。投資をする人よりも貯蓄をする人がはるかに上回ってしまうために経済が停滞してしまったのだ。

 この子守協同組合が停滞から抜け出す方法はなんだろうか。答えは簡単だ。クーポンの配布量を増やせばよい。組合員カップルは手持ちのクーポンの数が増えたのでこれで溜め込もうとする動機が緩和して、以前よりも外出してクーポンを利用するようになる。子守協同組合は「停滞」から抜け出ることに成功した。これは現実の経済では貨幣の流通量を増やして、人々が貯蓄を減少させ投資を増加させることと同じである。

 クルーグマンはさらにこの「停滞」シナリオにひねりを加えて、日本のゼロ金利を伴うような「大停滞」の話も作った。それは今度はこうだ。手持ちのクーポン以上に将来外出したいと思うようなときに、子守協同組合の方でクーポンを一定の利子(クーポン単位で計る)をつけて貸すというシステムが採用されていると考えたのだ。

たとえばあるカップルはいま手持ちのクーポンの数は10枚だが、将来12枚必要になるかもしれない。このとき以前のシステムだとこのカップルは外出を控えて他のカップルが子守を依頼してくれるのをひたすら待つことが将来のクーポンの必要をみたすためのただひとつの対処方法だった。しかしいまではその追加の2枚を組合が貸してくれるのである。この2枚のクーポンの返済は将来の子守で払うことになる。と同時に先ほどいったように「利子」をつけて払わなければならない。ちょっと高額の利子だが2枚借りたら1枚上乗せして返すとか。

 さてこのような「利子」の大きさを増減することで組合はなんと子守協同組合のやりくりをコントロールできることを知った。たとえば子守をしたいカップルが急増したとすると、このままではみんなクーポンをせっせと溜め込もうとする。そこで組合ではクーポンを借りる条件を緩める(利子を下げる)。そうなるとカップルたちはクーポンを溜め込むのではなく外出してよそのカップルに子どもを預けることをしやすくなるだろう。これはもちろん不景気のときに中央銀行が金融緩和をする(利子を下げる)ことと同じだ。子守をお願いしたいカップルが多い場合はこの逆で利子を上げればいい。

 ところが将来、長期間にわたって外出予定があるカップルが激増したとしよう。もちろんそうでないカップルも多いが全体でそんな長期の外出予定が将来発生するカップルが増えるとしよう。そうなると彼らは手持ちのクーポンをできるだけ増やそうとするだろう。組合の方は「利子」をどんどん下げて彼らにクーポンを溜め込ませないようにしようとするが全然効果が無い。やがて借りる条件の緩和にも限界がきてしまう。これが「ゼロ金利」の状態である。そして今度は並の停滞ではなく、まさに失われた15年級の「大停滞」である。

 クルーグマンはこの状態を「流動性の罠」と名づけた。子守協同組合も日本経済も困った事態になってしまった。日本経済がどうしてこんな長期間、お金を溜め込もうとしているかというとクルーグマン高齢化が原因しているのではないか、といっている。各々のカップルが過度に貯蓄にコミットすることで、組合自体がいかれてしまう。これはテロにコミットすることで社会が不安定化してしまうことに似ている。こうなると通常の緩和政策では組合も日本経済も「大停滞」から脱しようがない。

 そこでクルーグマンが提案したのが「将来あなたの持っているクーポンの価値は減少しますよ」という方法だった。いませっせとクーポンを集めようとしているカップルたちのクーポンは自分達がそれを使う将来にはいまよりもがくんと価値が目減りしてしまう、と組合が宣告するのである。長期間もてばもつほどそのクーポンの将来の価値は目減りしてしまう。例えばいま一枚で一日の子守りを頼める権利なのだが、一月後にはそれは半日分にしかならない、さらに半年後には一時間分にしかならないですよ、と組合が宣告するのである。こうなると多くのカップルは予定を変更していまできるだけこのクーポンを使うことを選ぶだろう。これはテロを緩和する際にはあまり役立たなかった経済的な豊かさが貯蓄過剰というコミットメント問題を緩和することがあることを示しているケースだともいえる。

 これを子守協同組合ではなく、現実の経済に置き換えると将来にわたりインフレを起こし、クーポン(貨幣の価値)を減少させるから、いまそんなに現金を溜め込まずにせっせと使ったほうが賢明ですよ、と国民に伝えることに等しい。

 これがいわゆる日本の大停滞脱出のためのインフレターゲット政策とよばれるものだ。ところで日本の景気回復にはもちろんこのインフレターゲット政策は採用されたわけではない。しかし一時期の大停滞は脱している(また戻りそうな嫌な予感はあるが)。それはインフレに将来なる! というのとほとんど同じことを政府が実施したからに他ならない。それが先の野口旭氏が言及していた二〇〇三年秋から〇四年初頭までの財務省による史上空前の円安介入である。これはもちろん対外通貨に対する自国の通貨の価値が減少することであり、いままで書いた「インフレにする!」ということと同じことを意味しているのでからである。

 とりあえずこれ以降の各章の内容を簡単に紹介する。第1章では、ウェブ以前の日本の経済論壇の主要な経済思想をみておく。といってもウェブ以前というのはあまりにも時間的に膨大だ。そのため最も注目すべき動向として、70~80年代に起きた反経済学キャンペーンとでもいった社会現象に注目する。そしてその反経済学キャンペーンの中心メンバーであった、佐和隆光京都大学)教授、西部邁秀明大学学頭)氏、そして反経済学的な体系を特に塩沢由典氏らの業績をみていく。塩沢氏の試みの中には、反経済学、清算主義、構造問題主義の三つの要素が鮮明なことと、前ウェブ時代だけではなく、ウェブ時代において彼が重要な貢献を行ったため詳しく解説した。ただしこの部分はこのボツ版の元原稿の段階では存在していない。その前にこの企画は自ら放棄して違う企画に変更したのである。そのためアイディアだけあって存在しないために、いつこのブログでボツ版ででてくるか不明である。第2章では、掲示板やメールマガジンの流行といったウェブ時代の幕開けを舞台にした経済論戦の様子を描写する。まず小説家の村上龍氏のメールマガジンJMMの意義を構造問題主義の一形態である「日本システム機能不全説」を中心に検討する。また掲示板上で起きた代表的な論争である、塩沢由典(当時大阪市立大学教授)氏らとリフレ主義者との論争に注目する。村上JMMと塩沢論争との検討を通じて、特に構造問題主義、清算主義の特質とそれへの批判が明瞭になるよう努めた。そして掲示板論争の一定の意義を、竹森俊平氏のいうところの「創造的破壊シナリオの誤算」という観点から総括してみたい。この部分のボツ版はすでにプロトタイプをこのブログでも掲載したことがあり、それをブラッシュアップしたものである。第3章では、ブログ界を中心とした日米の経済論壇の最新の話題を論じる。この章がサブプライム問題以降の、構造問題主義、反経済学、清算主義の動向を直接検証する場所となる。特に日本のサブプライム問題についてはまだ論争状態にはなっていないものの、見解の際立った違いが論者の中にみられることに注目する。また米国でのサブプライム問題をめぐる丁々発止の論戦も俯瞰してみたい。本章では特に竹森俊平、門倉貴史、春山昇華、本山美彦、大瀧雅之氏らの諸説が検討される。また清算主義・反経済学を再考するために齋藤誠氏、安冨歩氏らの諸説が検討されるだろう。海外論壇では、マンキュー、スティグリッツ、ルビィニ、コウェン、ハミルトン&チェン、ソーマ、クルーグマン、そしてバーナンキらの間でのサブプライム問題をめぐる論争を俯瞰し、日米の経済論壇の様相の違いを指摘する。この第3章ではほかにウェブ2.0時代のブログ上の経済的な発言をとりあげるつもりであるが、これまた第一章と同じでボツ版自体が存在していないので書くかどうか不明である。とりあえず今回でボツ版の「はじめに」は終わる。ボツ版は、ボツにしたのが僕自身の意志なので、もし必要あれば転用するかもしれず、そのときはまるごと該当部分を削除する方針であることをお断りしておく。何度も繰返すがボツ版の内容は無保証であり、誤解・誤記については無頓着であるし、当面直すつもりはない。