ジョセフ・スティグリッツ+アンドリュー・チャールトン『フェアトレード』


 日本での直近の前著では正直にいえば鮮明な印象に乏しい読書経験をしたが、今回のこの著作はきわめて示唆的である。おそらく前の翻訳といっていることは変わらないのになんでこうも印象が違うのだろうか。本書はスティグリッツの問題提起の書としては『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』と同じくらいお勧めしたい。


 本書を読む上での注意点はふたつ。①各国(特に先進国と開発途上国)は制度的な差異が経済的成果(国民の生活の改善度)に大きな違いをもたらす、②①のような制度的差異を無視した自由貿易・市場の自由化は必ずしもその国の生活の改善に結び付かずまま逆になる、というメッセージを、単純な反市場主義のメッセージとして誤読しないこと 、の二点である*1

フェアトレード―格差を生まない経済システム

フェアトレード―格差を生まない経済システム


 スティグリッツの著作や発言について以下のところで僕は言及したことがあるので参照してもらいたい。


ノーガード経済論戦第4回 見失われた「第3の道」http://blog.goo.ne.jp/hwj-tanaka/e/7faf84ea6adeed967cfb30f19af6e3cc
[経済] 書評『誘惑される意志』と『世界に格差をバラまくグローバリズムを正す』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20061224#p1
[経済] スティグリッツ『月刊現代』4月号インタビュー http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070303#p1


 本書の内容で僕が興味のあるところだけを書いておく。本書は世界貿易機関WTOの多角的貿易自由化交渉ドーハ・ラウンド(2001年11月〜)の現状が開発途上国に不利なものであることを理論・実証・政策的課題から包括的に分析したものであり、著者らはドーハ・ラウンドが参照すべき視点を集約的に本書に書いている。そのメッセージは市場が存在しない、あるいは市場が不完全なときは自由化への調整コストは膨大なものであり、それは開発途上国では対応できない。この場合、政府の介入により市場の不在・不完全性に対応することが貿易の自由化や資本市場の自由化よりよほど一国の人々の暮らし向きをよくする、というものである。


 内容的にはWTOなどの国際機関が保有する市場中心主義的なイデオロギーの中核にある新古典派経済学への理論的・実証的な批判、そしてドーハ・ラウンドの政治的交渉の非民主的な構造を解明し、より公正の原則に立脚した交渉ルールを設定することが議論の中心になっている(この交渉の政治経済学については僕のエントリーのここを参照)。


 例えば貿易の自由化が厚生を改善するという際の基本モデルとしての比較優位モデルはふたつの主の理論的仮定がとられていることに注目すべきである。①完全雇用を前提にしている。しかし未利用の人的資源が存在するときは貿易の自由化によってかえって失業が増加してしまう可能性がある。ましてや失業保険などのセーフティーネットが不在・未整備では問題はさらに深刻である。②また貿易自由化モデルではリスク市場の存在を仮定しているがこれも途上国ではみたされない。①と②についてのスティグリッツの説明は次のようだ。


① 貿易自由化による交易条件の効果のみに焦点をあてるのは間違えている。なぜなら失業が存在すると、貿易自由化は、生産性の低い部門から高い部門へ労働を移動させるのではなく、むしろ生産性の低い部門から失業者のプールへと労働者を退出させてしまう。このとき国民所得低下、貧困の拡大がみられるだろう。この失業を財政・金融政策で対応するのが先進国の対応である(スティグリッツもこれには異論はない)。しかし途上国では、構造的失業が20%を超える場合には自由化が構造的失業に寄与してしまうかもしれない、さらに寄与しなくても(いいかえるとマクロ経済政策が効果を発揮するまでの)所得の損失と貧困の増大という調整コストが高くつくかもしれない。


② 貿易不在のケースでは、生産量が減少すれば生産者は価格を上昇させるという所得変動を回避する「リスク保険」が可能。しかし貿易をする小国ケースではこの価格は世界価格になるので保険機能が縮減してしまう。そのため国内企業は高リスク・高リターンな投資を回避し、より低いリターン・低いリスクの分野へ投資する。これは貿易のないケースのときよりも総産出量を減少させるので、新古典派が想定するケースと違い貿易はパレート劣位にある。


①の回避はセーフティネット(失業保険など)の整備、②については保険制度の整備が必要。しかも税金でこれらの制度が完備されてもそれが実効性を有するまで時間もかかるので漸進的な改革が重要なものとなる。


まだ少し続く(日がまたいでもこのエントリーで追記予定)

*1:あと細かいところでは、日本の産業政策の評価が僕には論点とし大きいのだが、それは切り離しても=否定的な位置を与えても本書の評価には変更はない。またスティグリッツ自身も産業政策の効果についてはまだ論争中で決着がついてないとし、その産業政策の適用は各途上国の決断を尊重すべきだとしている