岩田規久男『そもそも株式会社とは』(承前)


http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070327#p1の続き。自分の論説用基礎資料として作成

 1980年代までの日本の企業統治は株式市場からの影響からフリーなので長期的視野の経営ができそれが生産性に寄与した説(ポーターらの仮説)への批判的検討にも紙数を多く割いている。


 ところで会社は、(1)汎用的人的資本(2)会社特殊的人的資本(3)経営者(4)実物資本を利用して生産を行っている。(1)は非正社員の報酬と等しいので外部市場で決定、(2)は会社の残余付加価値(付加価値から(1)と債権者への利子を引いたもの)について、経営者、正社員、株主との間での利害関係の中で決定される。

 正社員と株主との利害対立の調整様式を考える仮設として、従業員管理企業仮説の中核は企業の付加価値の変動リスクを株主は負わず、もっぱら経営者と正社員が負担し、株主は外部市場できまる株式収益率の変動リスクのみを負担した。すなわち付加価値から(1)+利子+株式収益率(=配当)などをひいたものを経営者と正社員は配分している、とこの従業員管理企業仮説は考える。


 著者はこれが日本の80年頃くらいまでの仮説として妥当か批判的に検証している。日本の株主は市場で決まった額に等しい配当を受家とっていないこと、日本の労働分配率と資本分配率の変動から不景気でも労働分配率が安定的に上昇(固定費割合が大きい)ことから付加価値の変動リスクを従業員と正社員が負担してきたとはいえず、むしろ資本分配率は景気の変動と正の相関にあるので、債権者と株主が負担してきたといえる。

 著者は以上から80年代までの企業統治の特徴として、自説としては①正社員との長期継続取引を重視し株価最大よりも売り上げ高成長率などの拡大めざす、②株主との利害関係は事実上フリーだが、経営者は正社員との関係重視、③メインバンク(債権者)の監視機能の貢献はあり、の三点を指摘しています。


 ところで著者はこのような日本型企業統治のもつ隠れたコストに注目し、特にその隠れたコストがバブル経済の形成に寄与した、という主張を展開していきます。隠れたコストとは経営者は正社員との長期関係を優先するために(退職金支払いなどの動機から)多額の現金保有を行い、その多額の現金保有を「多角的経営」や「財テク」などという非効率的な投資に用いてしまう。なぜなら株主への配当の還元や過剰な雇用を削減するよりもにこの現金を利用するよりも正社員の雇用維持を優先するためこのような非効率な投資を行ってしまった。著者はこのような「財テク」などに経営者が走ったことが80年代のバブルを形成したとしている。ちなみに僕は著者の構造的バブル説には判断保留をしたい。


 さらに従業員主権論そのものにも著者は批判的検討を加える。従業員主権論の代表として伊丹敬之氏の『日本型コーポレートガバナンス』を援用したものである。伊丹説の中核は長期関係にコミットしリスク負担をし貢献度の高さからコア従業員(≒正社員)が株主よりも主権者としてふさわしいというもの。ただし伊丹説は日本ではこの従業員主権を確立するために現行会社法と抵触しないコア従業員による経営者の選任・監視制度の導入をはかる。


 この伊丹説への著者の批判は主に三点。鄯 貢献度が高くても主権者になるべきではない(=プレーヤーはアンパイヤをかねるべきではない。コア従業員はまた自分の利益に不利な経営者の選任を望まない)、鄱 株主も長期的視野をもつ証拠が豊富、鄴 伊丹自身も認めている長期的に非効率な投資を長期雇用確保のために行う傾向強い。


 そして著者は、加護野忠雄の論説「企業統治と競争力」(伊丹敬之他編著『日本の企業システム Ⅱ2』)で指摘されているように、従業員主権が矛盾なく成立するには、株式の半数をコア従業員が所有し、株価変動リスクと付加価値変動リスクを担うことがその企業統治のあり方に「競争力」を与えることを認めている。


 このように著者は日本の80年代までの企業統治システム、従業員主権論双方に批判的であり、これに代わって株主主権論を強く主張している。株主主権企業は株価(将来の一株当りの予想利益の現在価値)を最大化するように行動する。例えば会社特殊人的資本投資もこの株価最大化の観点から実施される。いいかえると従業員主権企業では残余請求権への正社員と経営者との交渉によって決定されるが、他方で株主主権企業ではこの投資による予想利益の現在価値がプラスであり株価が上昇するときに投資の水準が決定されているといいかえることができるだろう。ポーターは株主主権企業では長期的視野に欠けるために会社特殊的人的資本投資が最適値よりも過小になると指摘しているが、それは株主がこの資本投資の評価をなんの学習もせずに繰り返し誤り続けると仮定しているに等しいと著者は批判している。


 株主主権企業の問題点とその改革としてはどのようなことが考えられるか? 情報公開の重要性、機関投資家の役割の重視、株主に不利な敵対的買収策への対抗措置の是正などをあげている。


 ところで私見では企業の内部市場というブラックボックスに注目した研究の多くは、そのブラックボックスの形態(従業員主権か株主主権か)を効率性で評価している*1。しかし僕はこの種の優劣にはあまり積極的ではなく、著者も最後に引用している競争的な生産物市場からの効率的経営を促す経路を重視することを好む(マートン・ミラーはそのような主張である)。終わり
 

*1:もっとも従業員主権企業論ではこの種の効率性のみでみるのは好ましくないと主張するロナルド・ドーアらの意見もあることを付記しておく