http://www.nytimes.com/2006/11/16/business/17friedmancnd.html
最近まで元気に長時間のインタビューにもでておられただけに残念です。現在のマクロ経済政策の基本(期待で修正された短期と長期のフィリップス曲線、自然失業率の概念)を構築した重要なひとりであることはもちろんのこと、負の所得税、教育クーポン制、現在いわれている「小さな政府」論の祖形、マネタリズム、シカゴ学派の形成、経済学の啓蒙教育、変動為替相場制、投機の理論、恒常所得仮説、経済学の方法論への貢献、そして大恐慌の分析やアメリカの金融史の基礎的研究、などその業績はいまさら紹介するまでもなく大きな影響力を持っていました。日本の経済論壇の一部では感情的な反発がフリードマンに対して強いのですが、いまの日本はまさに「フリードマンの時代」に事実上直面しているといえるでしょう。
すこしまとめてみます。以下は本日断続的に更新・追加の予定
●詳細な自伝
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●フリードマンのアメリカ大恐慌(1929年から32年)の分析
フリードマンとその共著者アンナ・シュワルツの『アメリカ金融史』(1963年)は、大恐慌の原因を貨幣的要因によるものとした。つまりマネーサプライ残高もしくは金融政策の変化(この場合は失敗のケース)が、生産と物価にどれだけ影響を与えたかを明白にした。この因果関係は今日の日本の90年代初めからの日本の長期不況を解き明かす上でも解明のキーとなる。簡単にいうと大恐慌のときも、日本の長期不況もともにデフレ不況だったが、この大きな生産・雇用・物価の落ち込みは金融政策の失敗(貨幣的な大収縮)がもたらしたものである、というのがフリードマンらの主張の核心である。
- 作者: Milton Friedman,Anna Jacobson Schwartz
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フリードマンらは「貨幣は重要である」「デフレやインフレは貨幣的現象である」というマネタリスト的視点から、マネーサプライ量から名目所得への影響を重視した。マネーサプライの成長率を長期にわたって政策的に低い水準に保つことは、景気の後退を招きやすく、逆にマイナスのマネーサプライ成長率が継続すると不況に落ち込むことになる。またマネーサプライは、中央銀行にコントロールされるマネタリーベース(銀行準備と現金通貨)と、利子率の変化、信用の状態、実質所得をもとに、銀行の準備と預金の比率が決まる。この比率と非銀行部門(民間の企業と家計)の現金通貨と預金との比率をもとに貨幣乗数が決まり、さらにこの貨幣乗数によってマネーサプライの大きさも決まる。
これらの命題にもとづくフリードマンらの大恐慌分析は、次のエピソードを強調した。
(1)1930年11月から33年6月にわたって生じた金融危機が貨幣乗数とマネーサプライ残高を減少させる一方で、当時の連邦準備は適切な公開市場操作を行って、この貨幣的大縮小(Great Contraction)を抑制することに失敗した。この金融政策の失敗は、金融危機を大不況に移行させてしまった。
(2)1933〜36年の金融緩和とそれにつづく景気回復から37年以降の金融引き締め・景気後退への転換は、連邦準備銀行が必要準備率を倍増し、過剰準備を減少したことに起因する。なぜならこの過剰準備は銀行からの流動性選好の増加を反映していたのであり、金融市場での過剰流動性を示すものではなかった。しかがって、これを削減することは、銀行と民間部門を苦境に陥らせる結果となった。
(1)の点は日本の三重野元日銀総裁時のバブル崩壊後の状況と同じです。さらに今日の日本の状況を考える上では(2)の点がきわめて示唆的でしょう。
●フリードマンの書いた日本経済復活策
日本の停滞は貨幣的要因に基づくから、日本銀行が(ゼロ近くの金利だから何もできないなどと抗弁しないで)マネタリーベースを増加させていけば停滞から脱却する、とすでに98年の段階で親切にアドバイス。いわゆる量的緩和政策を事実上アドバイス。大恐慌の経験を活かすべきだという趣旨。
http://www.hooverdigest.org/982/friedman2.html
しかし日本銀行が量的緩和政策を政策フレームで採用したのはそれから3年後であった(しかも当時の日銀総裁はその効果に懐疑的であり、金融政策の効果よりも構造改革の効果や強い円(≒いいデフレ)を主張し続けるのであった…