池田勇人内閣のブレーンといわれたエコノミスト下村治の理論を簡単な図表で表現してみよう。下村は国内均衡と国際均衡の同時的達成を最善の経済状態と考えていた。ただしそのような同時達成はナイフエッジであり、政府の意図的な介入がないままでは実現されない、とみなしていた。
「経済が順調な発展過程をたどるためには、一方において国際収支の均衡が維持されなければならないと同時に、他方において、雇用をできるだけ高水準に維持することが必要である」(下村治『経済成長実現のために』1958、宏池会)。
上久保敏氏の『下村治 「日本経済学」の実践者』(日本経済評論社)は、下村の国内均衡・国際均衡論を適確にまとめていて便利である。下村は1954年12月、つまり高度経済成長の入り口において、以下のような経済論を持っていたと上久保はまとめている。
「下村は国際均衡、国内均衡の視点から、1」輸入超過と国内インフレーション(完全または超完全雇用)、2)輸入超過と国内デフレーション(不完全雇用)、3)輸出超過と国内デフレーション、4)輸出超過と国内インフレーション四つの併存ケースを考え、その当時の日本経済は輸出超過と国内デフレとが併存する場合に該当するとみた」(上久保、74頁)。
下村は高度経済成長期は、設備投資がけん引した高成長の時代だという認識だった。設備投資の増加は生産設備の増加をもたらし、生産設備の増加は日本経済の総供給の成長をもたらした。他方でこの旺盛な総供給の伸びに見合った有効需要が実現できていない状態を問題視していた。設備投資は生産設備の増加という総供給面の貢献だけではなく、総需要側も増加させる。だがこれだけでは総供給に総需要は下回ってしまう。それを補うために、下村は政府の積極的な財政・金融政策の活用を主張した。
ところで一国経済の対外・対内均衡を同時に考えることができる枠組みとしては、スワンモデルが便利である。最近では、テミン&バインズが『リーダーなき経済』(日本経済新聞社、2014年)で言及している。ただし日本では2001年に出されたグラハム・バードの『国際マクロ経済学』(文眞堂)で、訳者の秋葉弘哉氏が解説という形で、スワンモデルを用いて平成不況を解説している。
ここではテミン&バインズの作図を利用し、後に秋葉の作図を参照することにする。
図1はスワンモデルをテミンらの作図のまま掲載したものである。対内均衡は右上がりの曲線で示されている。国内生産(国内所得=総需要でもある)は、消費、投資、政府支出、純輸出(輸出マイナス輸入)で構成されている。他方でその経済に存在する資源(労働、資本など)を完全利用した状態の総生産(総供給)とが一致した状態を対内均衡とした。つまり総需要=総供給である。対外均衡は経常収支が(輸出―輸入)と均しい状態であり、右下がりの曲線で示されている。
スワンモデルで下村の議論を整理すると、「失業&経常収支黒字」の一番左端の領域に1954年から19年に及ぶ高度成長期の日本経済はあったと思われる。旺盛な生産意欲、農村の「余剰」労働の存在。農村から都市への「余剰」労働があるかぎり、高度経済成長の潜在的な「失業」は高水準にとどまっていたと考えられる。
さらに実質為替レートは、名目為替レートに(外国の物価水準/日本の物価水準)を掛けたものになる。当時、名目為替レートは一定(1ドル360円)であり、また他国の物価水準を単純化するために一定と考えれば、日本の物価水準の上下動が実質為替レートの動向を左右することになる。
左端の領域から(より右方向にある)対内・対外均衡が同時に達成する経済状態に移行するためには、政府の介入が必要である。選択肢は、財政政策、金融政策のいずれか、もしくはその両方で対応できる。
この点を理解するために、秋葉弘哉(2001)の指摘を採用して、このテミン&バインズの作図したスワン・ダイヤグラムをより細かくみておくと次のような作図が可能である。
この図では、日本経済の位置はB点で示されている。下村は日本経済の状況を失業と経常収支黒字が伴う状態だと考えていたが、その処方箋として積極的な財政政策と金融政策のポリシーミックスを想定していた。AS線より下の領域に経済があれば拡張的な金融政策(自国の物価上昇をもたらす政策)は不用である。むしろ緊縮的な金融政策が必要とされる。しかし下村が想定していた高度経済成長期の経済状況はB点なので、デフレを脱却する金融政策は実質為替レート(これは先の仮定と1ドル360円という制度的要因から事実上、自国の物価水準を示している)を低下させ経済状況を改善する。財政政策もまた実質国内需要を増加させる。両方の政策の総合効果で、B点の経済はS点(対内・対外同時均衡)に向かう。
このような動きは、下村には市場にまかせておけば自然に達成されるというわけではなかった。下村が池田政権の経済政策(国民所得倍増計画)の中でみたのは、そのような適切なポリシーミックスによる“計画”だった。
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