グローバルサウスという言葉はあまり好きではないが、一応、インド経済論として簡単に去年の秋ぐらいに書いたもの。
グローバルサウスという言葉が2023年の注目ワードだった。どうも厳密な定義はないようだが、ざっくりいうと中国やインドなど、政治や経済、安全保障面などで世界から注目を集めている新興国の一群を指している。
例えば、ブラジル、南アフリカ、サウジアラビア、インドネシアなどの国々をグローバルサウスの中心国として挙げることに異論はないだろう。半世紀前くらいには「南北問題」といわれた「南」と似ているが、そのときは「北」に属する欧米や日本に比べると経済発展の面で問題を抱え、貧困や格差、政治的不安定が解決すべき課題だった。だが、グローバルサウスには負のイメージよりも、米国中心の覇権システムに対抗する多極化する世界像が伴っている。
最近のできごとでは、G20サミットのインドでの開催が注目を集めていた。
インド経済の現状は順調だ。実質の経済成長率は7.2%で、中国の3%や先進国平均の1%台後半のはるか上をいく。一時期は8%台に迫っていたインフレも、いまは半分ほどに急減していることも朗報だ。何より14億人という世界最大の人口を誇り、若い世代が多い。日本はもちろん、中国や韓国など、多くの経済圏が猛烈な高齢化を迎えているか、もしくは迎える予想があるなかで、インドは21世紀中を高齢化率が低いまま社会を維持できるとされている。インド経済の規模は、アメリカ、中国、日本、ドイツに次いで第5位であり、早晩、その順位は世界第3位になると予想されている。
近年は中国を上回る高い成長を示し、今後も期待されている。高学歴者を積極的に雇用し、IT産業、金融業などのサービス業が経済成長をけん引してきた。だが、その経済成長の特徴は他のアジア圏の経済にはないユニークさがある。それは「未成熟の脱工業化」という側面だ。
経済成長は生産と需要の両側面が補完しあって進展する。需要面は力強い消費にあることは間違いない。生産面をみれば、先ほど指摘した国際競争力が強いサービス産業が経済をけん引している。他方で農業部門のウエイトも大きく、また、製造業部門のウエイトが歴史的に小さいことでも知られている。農業部門は産業構造のシェアが10%台真ん中、製造業部門は20%台後半で、サービス産業は50%近くを占める。中国は農業部門が7%、製造業部門が40%、サービス部門が45%ほどだ。
製造業部門では、多くの労働者を利用して工場でさまざまな財を生産する。初めのうちは農村部門から安価な労働力を調達できるので「労働集約」的な形で製造業は進展していく。そのうちに農業部門からの人手の調達が高いコストを伴うものになる。多くの労働者たちの賃金が向上し、生活水準が上がっていくからだ。やがてオートメーションの機械の導入などで「資本集約」的な技術導入が製造業で進む。いまの中国経済は、農村からの出稼ぎ労働者によって「世界の工場」としての役割を維持している。世界の半導体や自動車の部品、医薬品などのサプライチェーンがコロナ禍で麻痺したのは、農村の休みなどで帰郷していた労働者たちが、都市部がロックダウンしたことにより工場で働くことができなかった側面も大きい。
この経済発展の当初でみられる労働集約的な製造業部門が未発達なことが、インド経済の「弱点」になる。従来の経済成長は「農業部門→製造業→サービス産業」と産業の主導役を代えていくが、ようするに製造業だ。多くの労働者が工場などで分業や技術革新のノウハウを学び、それを知識集約的なサービス産業に生かしていく。「製造業は資本主義の学習センター」なのだ。しかも、当初の製造業は労働集約的なので、大量の労働者が資本主義の学習をする。だが、インド経済は経済発展の当初から、製造業部門の
発展よりも先行してサービス産業が経済をけん引した。これは極めてまれなケースだ。
インド経済の特徴を「未成熟の脱工業化」という。足元では有利に展開させてはいるものの、大きな問題を抱える現象でもある。なぜか?
それはインド社会に深刻な経済格差をもたらすからだ。特に、インド経済を将来的に担う人材が苦境に陥りやすい。例えば、インドの若年失業率は20%台前半まで上昇している。これは日本で最も失業率が拡大したリーマンショック時の4倍を超えるもので、この高水準が2010年代でほぼ定着している。製造業で若い人材を吸収できる余地が限られているからだ。
他方で、サービス産業では人材を積極的に採用しているITなどの部門があるが、そこでは高い専門性が要求され、職を得る若者はインドといえど限られている。つまり、職を得ることができた若者と得られなかった若者の所得格差が、この十数年で特に拡大している。その真因は、まさに「未成熟の脱工業化」による。また、若いうちに失業してしまうと、その時期に得たであろう多種多様な職業上の技能は、年齢を重ねてから追いつくことが難しいことも指摘されている。専門的にいえば、人的資本の損失が著しい。これは若年失業率が長期的にみてインドの成長を脅かすおそれにつながるだろう。
この若者の所得格差を拡大するうえで、若年層の公教育格差も見逃すべきではない。いまだに十分な教育を受けられない若者が多い。特に、初等部中退率は約50%にもなり、事実上、公教育は崩壊している。この原因は、貧困家庭が児童労働に依存していたり、女子を不当に差別したりする社会環境が大きい。子どもたちは教育の機会を奪われ、児童労働として、国際機関の調査ではレンガ窯、カーペット織り、インフォーマル部門(露店カフェなどの飲食サービス)、農業、漁業、鉱業などに従事している。女子では、インドでは中国と並んで「消えた女性」問題がある。これは出産前後において、女子がネグレクト(育児放棄)、堕胎、捨て子などで「消失」することである。国連人口基金(UNFPA)の2020年の報告では、5年間で640万人もの「消えた女性」が世界中で生じた。その多くを中国やインドが占めていた。いまも深刻な課題だ。
貧困や経済格差が若い世代に継承されることで、将来的にインドは「大失業時代」を迎えるとノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは予言している。インド経済は、さらなる成長を遂げることができるかどうかは、若者の苦境を解消することにかかっているだろう。