佐賀北高校と高田保馬ネタ


 赤間さんのブログから。


 http://d.hatena.ne.jp/akamac/20070821/1187688860


 甲子園みない人というかテレビみない人なので知らなかったけれども高田保馬の作詞なのか。決勝戦はみてみたいと思ふ。



ところで「高田保馬」のはてなキーワードは苺掲示板へのリンクで、解説はドラエモンさんかw。おまけにタイトルは「狂った人達」っていったいwww


 たお、高田保馬について以下の短文再録


高田保馬の勢力理論と日本経済」

  高田保馬博士(1883-1972,以下敬称を略して単に高田とする)は,「勢力」 (Power) 理論を主張しこれを応用することで,経済学と社会学の双方の分野で独創的な貢献を果たしたことで知られている。本報告では,高田の勢力経済学を主に1910-30年前後の日本経済の動向,特に労働市場でおきた変化と対比させることで,その理論の持った歴史的な意義を論ずる。高田は当時の労働市場で生じていた諸問題(失業問題,賃金格差の存在,そして農村の困窮など)を解明する上で,経済的な要因だけでなく,社会学的な見地から経済外的な勢力の要因を考慮することが必要だと考えた。本報告の関心は,主にこの勢力説によって当時の日本の労働市場の動向が,どれほどまでに説明しうるものであったか,またどのような関連をもつものであったかを検討することにある。特に戦間期に対象を絞った理由としては,高田の勢力経済学が形成された期間であり,その理論の前提になる環境を提供しているだけに時代と理論の関連を追求することが特に重要であると思われるからである。また高田は,従来の経済学に比較して,自身の勢力経済学は持続的な失業などの現実をより説明できるものだとしてその意義を強調していた。高田はまたさまざまな著作の中でみずからの勢力経済学の現実に対する説明力を例証・実証しようとした。そのため,高田の勢力経済学が実際に当時の経済をどれほどに説明できるのか,あるいは反映しているのかを,史実に基づいて検証することは大切なことであると思われる(注1)。

1 労働市場分析としての勢力説 

高田の勢力経済学は社会学から経済学へ応用されたものであり,特に人間の社会行動の動機として「力の欲望」が中心になると考えていた。力の欲望とは,他人よりも自分が優越したいという感情の満足を求めるものである。能力や技術で他人を優越したいという欲望の特殊な対象として,社会関係における「勢力」が定義できると高田は主張した。高田は社会的「勢力」を経済分析に適用する際に,それを「経済的勢力」と「経済外的勢力」との2つのカテゴリ―に分けた。経済的勢力とは,簡単に言えば金銭や財・サ―ビスを用いて他人を支配する力である。高田は経済的勢力を具体的に,労働組合の独占力(労働サービスに関する独占価格の設定行動)などとして例示していた。一方で,経済外的勢力とは,そのような「或る物財の介入を待たずして直接に相手を動かす能力」であり,これは「伝統,習俗,慣習,世論,思潮」などとして作用すると述べている。より具体的には、例えば社会保障の充実,生活水準の改善,教育水準などの上昇を考えていた。高田は、持続的な失業現象を説明するものとして、労働組合の独占力= 「経済的勢力」よりも「経済外的勢力」が賃金水準を硬直的にすることを特に重視した。また勢力経済学によって都市や農村の「相対的な」貧困の問題をも解明しようとした。

 労働市場が完全に競争的な市場であるならば,労働需要と労働供給の一致する水準で雇用量と賃金は決定され,たとえ不況で労働需要が低下し超過供給が発生しても賃金が伸縮的に低下することで完全雇用水準に調整される。しかし,労働者は単に賃金のプライス・テイカ―ではない。高田の考察する人間は,先にも言及したように力の欲望を行動動機とする社会的存在であった。それゆえに,「各経済主体は社会的にそれぞれ一定の地位,又は勢力を有する。(略)此勢力に基づいて一定の労銀を要求する」のである。

 労働者の勢力は社会的な地位によって与えられているが,その社会的な地位は「伝統,習俗,慣習,世論,思潮」によって決定されており,この地位は労働者に一種の社会的に公認されているような「人格的待遇」を与える。労働者はこの「人格的待遇」==プライドを充たさないような賃金水準を受けようとしない。またこの「人格的待遇」に固執するため賃金は安定的なものになる。  このような労働者の賃金の決定行動に経済外的勢力は影響するが,高田はまたこの経済外的勢力である「伝統,習俗,慣習,世論,思潮」は,常に一定ではなく,労働者の「能力,練習,教育」(例えば教育水準などの上昇)、社会保障の充実、生活水準の改善や労働者階層の普通選挙制への参加の拡大などによって変化するとした。また労働組合の力の増大は、高田の経済外的勢力には含まれていないことは再三の注意が必要である。

2 戦間期労働市場と勢力経済学

 高田は今述べたように,戦間期の日本経済の抱える問題として都市の近代部門での失業問題と農村の困窮を重視していた。以下では、まず前者に関して考察していくことにする。第1次世界大戦が終了してから継続していた労働の超過供給の現象は,特に恐慌期の1930,31年においては,失業者の数も顕著なものがあ り,社会問題化していた。労働組合による争議も頻発しており,組合の要求もそれ以前までの労働条件の改善から雇用の確保や賃下げの反対を訴えるものに変化した。

 1928年に実施された初の普通選挙や当時頻発していた労働争議などに影響されて,労働者の社会的勢力は増大した。これを反映する象徴的な出来事は,1929年の救護法の成立にみられるような社会政策上のシステムの進展であったといえる。救護法は生活扶助,医療扶助,助産,生業の扶助を目的とするなど失業対策をめざす制度であった。また健康保険や政府管掌保険などの近代的な社会保険制度の萌芽といえるシステムが成立したのもこの時期にあたる。

 以下で経済外的勢力と実質賃金との関係を高田の指摘を幾分拡張しながら実証的に検討してみることにする。問題は,経済外的勢力を直接・間接的に表す指標(例えば社会保障の充実,生活水準の改善,教育水準など)と実質賃金の動向との関連を検証し,高田の主張を歴史的な観点から再検討することである。また高田は労働組合の独占力の行使(労働争議など)を経済的勢力とし,この経済的勢力では戦間期の失業を説明するには不十分であるとしているが実際はどうであったのかも検討する。以下の推計では,対象とする時期として1910-30年の期間を採っている。また当日配布する予定の表に検定の結果をまとめた。

 まず経済的勢力を表す指標として,労働争議件数と賃金の動向を検証したが,これは高田の主張を直に検証するためである。推計では,労働争議が増加(減少)すると賃金は低下(上昇)するという負の相関がみられた。高田自身も労働争議などの経済的勢力が賃金動向(安定性)や失業に影響(正の相関)を与えることは(経済外的勢力に比べれば二次的ではあるが)認めているので,この推計の結果はそれを裏切るかのようである。ただ推計の説明力自体はさほど強くはなかった。言いえることとしては、高田が思っている以上に経済的勢力はこの時代の賃金動向に影響を与えておらず、むしろ企業の業績にかなり左右されていた。

 次に経済外的勢力に作用する要因の指標を見てみよう。教育水準の上昇は賃金動向とどう関連するだろうか。学歴が上がれば賃金も上昇するか,または安定性をもつものと勢力説では考えられる。個別企業内における昇進や給与などに学歴がどのように作用したかを知る上での詳しいデ−タを入手することができないので,本報告ではマクロ的な資料をもとに推計を行うことにした。1910―30年において概括的に述べれば、各学校への進学率は賃金にはっきりした影響を与えていないように思われる。

 次に生活水準を表す各デ−タと賃金の動向についてはどうだろうか。高田は論文「住居費の一研究」の中で,大正後期の都市住民の住居費,食料費の動向について統計的な分析を行っている。その論文においても高田は勢力説的な解釈で生計費の区分を行っている。彼は生計費は,生存費(自己の生命を維持するための費用),充実費(生活内容の充実のための出費),誇示費(自らの社会的勢力を誇示するための費用)として区分する。そして最後の誇示費は,世間的な対面を気にする際に必要な経費としており,所得の高い層ほど住居にたいする出費は安定的(少なくとも所得の上昇とともには逓減しない)であると主張した。他方で,高田は食料費に関する支出については,エンゲルの法則を支持して,所得の上昇とともにエンゲル係数は低下すると述べている。では,戦間期全体で高田のこのような命題は妥当するだろうか。生活水準全体は,10―30年を通じて一般的に上昇したといわれている。住居費に関しては高田の見地からは賃金と正の相関をもつことが望ましい。しかし住居費,衛生費に関しては有意な負の相関であった。この結果は高田の主張とは整合的ではない。また生活水準が上昇していたとはいえ,この時代では家計の支出の約七割が食料支出であった。推計では賃金が上昇(下落)しても直接には食料支出に関係しなくなっている。

 最後に社会保障や文教に関する政府の行政補助金と賃金との関係を見てみよう。社会保障費の上昇は,賃金と正の相関をもつという推定結果が得られている。このことは高田の社会保障の充実が経済外的勢力を強め,それが賃金を上昇(すくなくとも安定化)させるとした主張に支持を与えると思われる。ただ上記の推定の多くに言えるがマクロ的なデ−タのため計量上の問題点をはらんでいることに留意しておきたい。

 以上のようにわれわれは,経済(外)的勢力に関連すると思われるいくつかの指標と賃金との関連を検討した。総じて言えば,高田の主張が当時の現実を的確に反映していたとはいいがたいものがある。すなわち,戦間期において労働者階層が,高田の主張したように失業の主たる要因になるほどその(経済的・経済外的双方で)社会的勢力を強めていたようには思われないのである。少なくともさまざまな事象として社会的勢力の進展が見られたとしても統計的な見地からは賃金の動向に影響を及ぼすほどはっきりとした関係は築かれていなかったと考えることが妥当ではなかろうか。

 さらに高田の近代部門の失業に関する見解に関して従来から注目されていた問題がある。それは,そのような失業を解決する政策的提言が高田の主張にはほとんど見あたらないことである。高田の勢力経済下の失業を解決する政策は,最低賃金制度やもろもろの失業補償ではない。そのような政策はむしろ高田的な失業を増加させてしまう可能性がある。またケインジアン的な有効需要の創出政策に関しても高田は批判的であった。唯一勧めているのが,労働者(都市住民)に対してその生活水準全体を引き下げることであり,賃金についていえば,より低い賃金でその「人格的待遇」を充たすことであった。このような高田の貧乏論といわれる一連の主張は,産業化が進展していく当時の日本においてきわめて異質な発言であった。

 では,なぜ高田は,このような主張を行ったのであろうか。この問題は,農村の困窮に関する高田の見解を明らかにすることでひとつの解釈が提供できるように思われる 。 

3 農村問題と勢力経済学

 高田は先にも述べたように農村の窮乏を戦間期経済の重要な課題としていた。というよりも近代部門の失業問題も実はこの農村問題を通してこそ,高田の勢力経済学全体の中ではっきりとした位置を定めることができるように思われる。高田は農村部出身であることから,生涯田園生活への憧憬を持ち続けていた。このような個人的な思いにも裏打ちされて,農村問題に対する政策的主張は失業問題に比べてとより具体性を帯びているといえるであろう。

 高田の農村問題に対しても失業問題と同様に主に勢力説の枠組みで取り組みが行われている。勢力説的なアプロ−チは主に2つの方向からなされている。第1に,勢力説的な地代論から封建的な従属性を強調する方向から,第2に農村の生活水準の安定性を問題にする方向から,この2つの側面で高田の農村問題に関する見解は要約できると思う。第1の論点については紙数が限られているのでここでは省略する。

 戦間期では都市と農村,言い換えると近代的工業部門と伝統的産業部門(農業,漁業など)との間に賃金格差や生産性の格差が顕著に見られるようになっていた。また農村部から都市へかなりの労働力の移動が生じていたこともそのような収入格差からうかがい知ることができよう。

 当時の農村の生活水準は,農産物価格の下落や地租や借金などの負債できわめて窮乏していた。高田は農村の経済的な構造変化としてその自給性の喪失を挙げている。しかも農村の人には都会の洗練された消費財を買いたいという「力の要求」がある。この「力の要求」(あるいは「誇示の欲望」)こそ自給自足の喪失の元凶であると高田は主張するのである。高田によれば第1次世界大戦による好況で,一方では日本の工業が勃興し,また米不足がもたらした米価の騰貴により農村の生活水準は高まった。先に述べたように農村内の産品を購入するよりも都市の産品が選好された。また負債をして土地の購買や土地の整備などの資金とした。しかし戦後の農産物価格の下落が負債デフレを引き起こし,農家の生活を圧迫した。要するに農村の生活水準は戦時中に比べて「相対的貧困」の状態にあったといえよう。そしてこのような貧困を解消するために,高田は(1)所得移転 による救済,(2)_農村の生活水準の低下励行==自給自足の促進、という2つの方策を提示した。両者は必ずしも整合的ではないが,ここでは前者に議論を絞ることにしたい(両者の関連などの問題は省略する)。

 都市と農村で生活水準に格差があると,農村から労働者が流出し,結果的に総人口(高田の議論では労働者数≒人口)が減少する可能性が増すことになる。この解決策として,都市と農村の賃金格差を縮めることが必要であると高田は主張したのである。すなわち,都市階層に課税をして,それを農村に移転所得として与えることを政策として主張した。

 実際に,30年代はじめでは,台湾や朝鮮半島などの植民地から安価な米が大量に輸入されていた。農村では米からの収入が大半を成しており,また実質賃金も下落した。一方で,都市の賃金は相対的に上昇し,農村との生活水準格差が広がっていた。このような現実を前にして,高田は農村の人口を少なくとも一定に保つ政策を執拗に主張した。そのような主張の背景には,高田が人口と国力をイコ−ルとみなし,また農村を人口の供給源として重視していたことがある。それゆえ人口≒労働力の移動とその変化を規制するものとして,高田は勢力を重視したといえよう。いくつかの理論的な整理はあいまいながら,都市労働者が生活水準の低下に甘んじるようにと主張した,高田の貧困論は説得力を限定的な意義をもつであろうし,勢力説に基づく特殊な二重経済論と呼んでもいいかもしれない。

まとめ 

(1)戦間期では経済外的勢力の伸長はあったにせよ,いまだ高田の主張したようには賃金の安定性にはっきりした影響を与えてはいなかった。

(2)農村の貧困は,人口と勢力による特殊な都市と農村との二重経済論の枠内で考えられていた。その文脈において,高田の(都市部住民に対する)貧困論は経済的な意味を持ちうる可能性がある。

(3)報告集では,記述を省略したが,都市の労働市場の賃金の安定性は,資本市場との関連からも支持されている。また長期の雇用慣行は勢力経済学の対象ではなかった。


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注1 本稿は田中秀臣・山本克也(1996)「勢力説と戦間期経済」mimemo,田中秀臣(1998)「高田保馬の勢力理論と日本経済」mimemoに基づく。関連論文として,田中秀臣(1998)「高田保馬とJ. M. ケインズ」(上武大学商学部紀要9巻2号),「高田保馬の勢力経済学論争」(同10巻1号)を挙げておく。また紙数の都合で引用の出典,参考文献などは省略した。