文月悠光『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)

 文月悠光さんの第二エッセイ集。cakesでの連載が中心で、いくつかのものは読んではいたが、ちょうど本書のストリップ劇場に行くところからは読んでいなかった。そして本書はこの「臆病な詩人」が担当編集者とともにストリップ劇場に行くところから、俄然と面白くなってくる。

 

 もちろんその前もエステ体験や愛の告白をうけた出来事や「ニッポンのジレンマ」での経験も、文月さんの時に明るい、時に痛切さを抱えた文章に、僕は刺激をうける。だが、このストリップ体験で描かれた現場は、「街へ出る」体験を僕にも与えてくれるたのだ。ありがとう。

 

 僕もこの年齢になっても「臆病」なまま観察したり、遠ざかったりしていることは多い。そんなことをこのストリップ劇場の章を読んで気が付いた。

 

 愛を告白された章と、後半の恋人との別れを書いた章とではまったく違う読後感がある。これは「恋愛で変わった」ようには、本書を読んでは思わない。いまも書いたストリップ劇場の章が機転になっているのだ(と僕には思える)。踊り子の人たちに、劇場では「与えること」ができなかったかもしれないが、読者には「与えること」ができている。そして「読者に与えたもの」はぐるっと回って、踊り子さんたちにも「与える」ことになるかもしれない。僕には少なくともそう思えた。

 

 雨宮まみさんについて書かれたふたつの章がある。僕のブログでは、文月さんの著作のほとんどの感想が書いてある。だが、『わたしたちの猫』(ナナロク社)だけはない。ひとつには、同書への雨宮まみさんの推薦エッセイがあまりに素晴らしく、それを超えたいかなる文章も書けそうになかったからだ。もちろん何かお礼じみたことでも書くことはできたが、決定的には雨宮さんの死がそのような行為を不可能にさせてしまったのだと思う。今回の本でも雨宮さんの推薦エッセイの引用があるので、文月さんの作品の魅力を知りたい人は読んでほしい。

 

 本書のカバー写真(岩倉しおり氏撮影)はとても素晴らしく何度も見てしまう。そして本に挟まった付箋の文章もいい。丁寧な本つくりをする善き編集者にめぐりあえているな、と思った。いいエッセイである。

 

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)

臆病な詩人、街へ出る。 (立東舎)