レジュメ「経済学からみた日本国憲法」by田中秀臣in夜のTOKYO憲法トークライブ(9月22日浜松町)

 本日のトークイベント、多くの方にきていただき感謝です。またお世話いただいたスタッフの方々、そしてご一緒したパネラーの方々にも感謝いたします。

 みなさんのとの写真を。

 今日配布した僕のレジュメです。トークイベントはこの内容は全体の四分の一ぐらいのウェイトで他は違うことを話していました。

経済学からみた日本国憲法

 経済学の規範的観点:パレート最適(パレート効率)
  集団安保法制論議(2015〜16年):田中(2015)、高橋(2017)、平山(2015)
  平山(2015)からの引用紹介*1
 日本国憲法の最大論点:第九条の改正問題。
 九条解釈。日本の安全保障はパレート最適か否か?
 憲法九条は日米安保(より広義には米国中心の日米韓の安全保障)と一体化。
 冷戦から冷戦後までの「ただ乗り」の状況。
 冷戦期間:日本と韓国。米国とソ連
 冷戦後:日本と韓国(米国)
 A )囚人のジレンマ 国際公共財の過小供給(浜田(1996))

防衛責任 ただ乗り
防衛責任 (2,2) (0,3)
ただ乗り (3,0) (1,1)

 集団安保法制は、日本と米国が互いに「防衛責任」を果たすためのパレート最適を目指す政策。憲法解釈のひとつのあり方。
 北朝鮮リスク以後
(1)北朝鮮と米国の直接交渉成功⇒日米韓の集団安全保障の破たんへ。国連主義も終了?
 地域内軍拡競争の可能性⇒だがそれはパレート最適な状況なのか?
 B) 東アジア軍拡競争のケース 囚人のジレンマ(岡田(2013))

軍拡 現状維持
軍拡 (5,5) (−4,6)
現状維持 (6,−4) (−3,−3)

 プレイヤーは日本と韓国。
(2)北朝鮮と米国の直接交渉失敗⇒日米韓の集団安全保障の維持。
この場合でも地域内の軍拡競争の可能性は排除できない。ただし(1)のケースに比べてはるかに経済的に“安上がり”ではないか。理由:(1)は日本・韓国がそれぞれ単独で防衛費負担。(2)は現状と同じで費用分担。

憲法第9条問題は、現実の安全保障の写し絵。(1)のケースでは日米安保は事実上破たん。9条を支える現実的根拠は希薄。ただしそのときの改正は、パレート最適ではない状況を反映しての憲法改正になる。

(2)のケースは、基本的に現状のまま。憲法9条の改正は基本的には必要はない。A)の防衛の過小供給を排除するように、日米韓が新しい北朝鮮の軍事力に適合した防衛を費用分担して対応すればいい。

 憲法9条の新しい解釈が生まれる可能性はある。
 憲法9条第三項は? 


参考文献

岡田章(2012)「国際協力と制度構築のゲーム理論」(鈴木基史・岡田章編『国際紛争と協調のゲーム』有斐閣、所収)。
高橋洋一(2017)『日本を救う最強の経済論』育鵬社
田中秀臣(2015)「集団的自衛権の経済学」(飯田泰之田中秀臣麻木久仁子『「30万人都市」が日本を救う!』藤原書店、所収)。
田中秀臣(2017)「北朝鮮リスクの経済学」レジュメ
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20170908#p2
浜田宏一(1996)浜田宏一「冷戦後の防衛構造ー戦略的代替から戦略的補完へ」(服部彰編『来世紀への軍縮と安全保障のプログラム』多賀出版、所収)。
平山朝治(2015)『憲法70年の真実』中央経済社

国際紛争と協調のゲーム

国際紛争と協調のゲーム

日本を救う最強の経済論

日本を救う最強の経済論

来世紀への軍縮と安全保障のプログラム―ECAAR第3回シンポジウム議事録

来世紀への軍縮と安全保障のプログラム―ECAAR第3回シンポジウム議事録

第6巻 憲法70年の真実 (【平山朝治著作集】)

第6巻 憲法70年の真実 (【平山朝治著作集】)

*1:戦後日本は、日米安保条約によってアメリカの軍事力に頼って平和を享受し、平和のために国外ではあまり積極的に活動せずにおとなしくしていることが第二次大戦の敗戦国に相応な世界平和への貢献であると、多くの日本人は思ってきたが、アメリカの覇権国としての地位が相対的に低下し、中国が急速に台頭して挑戦国としてふるまいがちになってきた昨今において、両国の間に位置する日本は、ドイツとソ連に挟まれたポーランドのように、米中間の取引の対象となりかねず、いわゆる安保ただ乗りを続けていてもアメリカがいざというときに日本を守ってくれる保証が得られなくなってきたため、日本としては、独自の自衛力を強化するか、日米協力を強化するかという選択に直面しており、後者の方が少ないコストでより効果的な対応ができるということが、集団的自衛権を限定容認すべきだとする見解を支える事実認識であろう。集団的自衛権に賛成するこのような理由付けは、必要最小限度の自衛力で済ますという効率性を基準に安全保障政策のあり方を判断する、経済学的な議論であり、政府が1955年ころから唱えた、必要最小限度の自衛力は第9条第二項が保持を禁じる戦力ではないという解釈に沿った考え方でもある。ii-iii