浜田宏一「冷戦後の防衛構造」&「日本の平和憲法の経済的帰結」

 日本国憲法第九条と日本国民にノーベル平和賞がくるかもというネタに関連して、浜田宏一先生の講演をふと思だした。

浜田宏一「日本の平和憲法の経済的帰結」
http://www.asiawide.or.jp/eps/symposium/s96/1-4.htm
このスピーチを補うやや理論&実証的なスピーチは以下。
浜田宏一「冷戦後の防衛構造ーー戦略的代替から戦略的補完へ」http://www.asiawide.or.jp/eps/symposium/s95/2-2.htm
冷戦前と冷戦後の戦略構造を示す図表が上記ではないので、後に単行本に収録されたものを利用して以下に利得行列だけ(一部ぼくが適宜修正して)掲載しておきます。

 防衛は国際公共財(非排除性&非競合性)をもつ財であり、冷戦構造のなかでは、米ソがその供給を大きく負担し、NATO諸国などはそれに「ただ乗り」していた。これを浜田先生は戦略的代替として説明した。
 例えば米国はソ連との対抗上、軍事支出は過大気味に負担する。ところがNATO諸国のような協働行動が必要な第1国と第2国はそれぞれが防衛責任を果たすとそれぞれが2の満足水準を得る。ところが相手国が防衛してくれるからいいや、とただ乗り戦略を採用すると(1,1)の利得の組合せになる。

冷戦前の戦略構造:戦略的代替囚人のジレンマ 公共財の過小供給

防衛責任 ただ乗り
防衛責任 (2,2) (1,3)
ただ乗り (3,1) (1,1)

さらに冷戦後の戦略構造を示す利得行列は以下に。お互いが軍縮が一番いいと思っていても、自分の国だけが軍縮をして相手が軍拡をするとまずいことになる。そこでお互いが軍拡を選んでしまう。

冷戦後の戦略構造:戦略的補完周辺国家同士の争いの可能性(昨日の味方がいつ敵となるかわからない)。囚人のジレンマ 

軍拡 軍縮
軍拡 (1,1) (3,0)
軍縮 (0,3) (2,2)

来世紀への軍縮と安全保障のプログラム―ECAAR第3回シンポジウム議事録

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