倉山満・小倉紀蔵・宮脇淳子・小倉和夫「今、「国家」を問う」in『環』2014年春号

 領土・国民・主権の三点で規定される「国家」。特に国民国家論を四者が抽象レベルから、いまの日本国家論にまで水準を上げて論議している。前半はとても面白く、それぞれの論者の視座に興味が魅かれる内容だ。後半はおそらく(藤原良雄氏から提起された)後藤新平の『国家衛生原理』を出席者たちが十分に論点としてこなしていないために議論が散発的になってしまってるのが残念。ちなみに本刊では後藤の当該書の解説論文があるが、書き手の主観が全面にでていて後藤がそもそも何を言いたかったのか不鮮明になっていることも残念。後藤の当該本を読んで座談会出席者たちがどう発言していくか見て見たい気もする。

冒頭で四者の国家論がそれぞれ展開されている。

倉山…国家と政府は別物。日本国と日本政府をめぐる日本人四類型論が面白い。「第三の分類は、大正デモクラシー期以降出てきた美濃部達吉吉野作造、佐々木惣一ら、私が尊敬する憲法学者政治学者たちです。彼らは日本国を愛するがゆえに、日本政府のやっていることを批判します。この人たちが最もいさめたのは、国家と政府を同一視することと、一部の特定官僚が愛国心を独占することです。日本国民が愛国心を持った善人なのにつけ込んで、官僚のやった失敗を国民全員に持ってくるなと批判しています」。この発言からも倉山さん自身が自分をどこに置くかがわかるだろう。

小倉(紀)…バイオポリティクスの主張。国家に生命があるとする北朝鮮的な発想vs個人の肉体的生命のみに生命であるという考えの対立。

宮脇…日本には国家と個人の対立を強くとらえる意識がありそれが問題。

小倉(和)…現在の国家はグローバリゼーションの下で機能・自己管理能力を喪失。「日本という国家には他者が定義した部分があるということをよく考えておかないとならないと思います。

論者たちは国民国家の質的な違いを日本、フランス、米国それぞれにみていく。

宮脇「共和制の国民国家と、君主制国民国家は、国家の擬制的人格、国家格が、国の成り立ちから違います」