栗原裕一郎「慎太郎と龍」(in『すばる』2014年2月号)

 村上龍石原慎太郎の類似性を日本という共同体への「嫌悪」であることに注目した論説。

 特に面白く思ったのが、村上龍の「嫌悪」の変化だ。『愛と幻想のファッシズム』では、日本の戦後民主主義を代表とする「戦後のすべて」が嫌悪の対象となっていた。ところがこの著作の準備の過程で経済学に出会い、やがて「それまではその外部に自身を置き唾棄していた共同体の内側で、可能性を与える、価値を見出す、という動機が見られるようになった」。

 栗原さんはこの「転換点」を97年前後に求めている。また21世紀になってからは、かって嫌悪した共同体の中に、「危機感」を抱いたり、「戦争」を生きている経営者たちを見出すようになった。

 しかしこの「発見」は、「何ら希望がないと嫌悪し続けてきた共同体の中に、自分が欲していた理想があったということになる。この矛盾は、作家・村上龍にとってはクリティカルなねじれであるだろう」と栗原さんは指摘している。

 その上で、石原慎太郎は「小説のもつ毒」がある種の状況の人間の行為や思念を変化させる可能性をもつという姿勢をいまだ維持している(というのが栗原さんの理解だろう)。「毒」は「毒」でしかなくお説教や教訓ではないだろう。だが、村上は変わった。

「村上は「ある種の小説には、自殺しようかなと思っている子どもを止める力はあると思う」と語っていたが、かっての村上なら「そんな弱い個体は淘汰されればいいのだ」と言い放つべきところだ」。

 石原と村上はともに戦後日本という共同体への「嫌悪」から作家生活を始めた点で類似していたが、いまやその内実は大きく変化したというのが栗原さんの論説のまとめである。

 村上龍については、メールマガジンJMMや主に21世紀に入ってからの諸著作について、僕はかって『最後の「冬ソナ」論』(太田出版)の中に書くことがなくなって(笑)、苦し紛れに書いたことがある。

 村上は確かに「日本型システム」への「嫌悪」から始めていた。これはある角度からは、「日本というシステムは構造的な病にかかっている」という日本型システム=構造問題説というものとして読み替えることができる。しかし村上自身の日本理解あるいはより狭義には日本経済理解はさておき、彼はJMMでは編集長として様々な意見、特に日本のシステムの病が「経済」に発するという観点から、自分の考えをおしつけることなく、多様な論者の登場を許した。

 その結果、JMMでは日本というシステム全体(=マクロ的視点)では、清算主義的立場とリフレ的立場とが対立した。その代表が21世紀はじめは、なんと前者は山崎元さん、後者は河野龍太郎氏であった。そして両者を主軸に延々終わりのない論議が展開される(今現在は山崎さんがリフレ的、河野氏はむしろ清算主義的=不況下での財政再建論だ)。

 そして注目すべきなのは、2005年ぐらいを契機にして、村上は「マクロをテーマにするとミクロがわからなくなるから」という理由で、マクロ経済に議論の比重をおくよりも、いまに続く『カンブリアン宮殿」的なミクロ経済、というか単なる個々の経営者の取り組みなどに視点を大きく局限していく。この点の村上の推移については、先の著作の中で、僕は村上のマクロ経済の理解に問題があることを批判的に指摘した。

 この21世紀の中での村上の推移は、あまり今回の栗原論説ではふれられていない。21世紀に入っていきなり『カンブリアン』的な村上になったように扱われている。

以下、僕の理解を図式的に書くと

村上の「日本」への態度

1)日本という共同体はシステム的に糞だ(=嫌悪)⇒2)システム的に糞であることの主軸は「経済」にある⇒3)「失われた10年」とかいって日本システムの糞さがようやく顕在化してきた。それを自前のメディアでもっと広く喧伝したい(=JMMの開始)⇒4)ところが編集長なのでバランスとって、日本システムの糞さについていろんな意見聞いてみたら、なんとシステムが糞じゃないという強力な意見(リフレ的な意見など)がでてきたぞ。⇒5)システムを糞ゆえ清算する!という考えとリフレ的考えとなんだかごちゃごちゃしてきて、俺=村上の頭がこんがらがってきた。こうなったらシステムを大きくみるんじゃなくて小さくみよう。そこなら頭がこんがらがらなくいけそうだから ⇒6)ほら、個々の人間同士なら、いい話(=理解できる話)がいっぱいあるじゃないか。カンブリア宮殿

という感じだろうか。このような思考推移になったキーは、もともとの「日本をシステムという総体でとらえる」という点に問題があったのだろう。この点は拙著で詳細に書いたので省く。石原の場合はどうなのか、いま考える時間がないので今日はここまで。笑。

すばる 2014年 02月号 [雑誌]

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