マージナルアイドルのケアの経済学の可能性

 濱野智史氏の「地下アイドル潜入記」kindle版を読んだのをきっかけに、最近、アイドルのライブやイベントに行っている感想をここでまとめておきたい。

 濱野氏の論説は、「地下アイドル」の世界に最近急激に魅せられた濱野氏によるその体験と、観客たちのデフレカルチャー的な側面を描いたもの。特にコストパフォーマンスを重視したファンたちの行動類型、そして市場原理だけでははかれない「感情財」的な側面を描く。かなり簡潔にまとまっていて読みやすい。

 僕も特に「地下アイドル」と意識したことはないけれども、考えてみればQunQunを自分で東京によんだり、「地下的」興行さえもしたことあったんだなあ、とふとそんなことを思う(その意味では濱野氏に先行して地下アイドルの世界を自分なりにもう数年享受しいろいろ知らずに学んでたのか、とQunQunとその魂の仲間たちに感謝したい)。個人的には「地下アイドル」という言葉はなんかそぐわなくて、むしろ「マージナルアイドル」といいたい。これは中心があって周辺という意味よりも、経済学の価値は限界的な価値で決まる、つまりアイドルのある意味で最先端を表現するものとして使いたい。僕がここ数か月積極的にみてきたアイドルたちは、観客とアイドルたちとのケア関係(濱野氏の「感情財」と同じだろう)ないし「親密さ」を交換して結び付けられている。このケア関係は、精神的・肉体的(これにはエロティックな意味はない)で強化されている。またファンたちの高年齢化がこのケア関係が、一種のアイドルたちの感情労働によって成立していることでも、自生的な福祉活動ににている。実際、僕の知っている女性アイドルは、自らの活動を「社会貢献」という側面からとらえている。

 このマージナルアイドルにみいだしたケアの経済を今後さらにみていきた。