本の帯に「三か月で100点取る人、二日で80点取る人、どちらを評価しますか」とある。この質問は、いいかえると、最初の二日で80点とれても、残り三か月近くで20点をアップすることがとても苦労がいる(=コストがかかる)ということだと見方を変えることができる。
なんでもそうだが、完全を目指すと、あと一歩の努力がめちゃめちゃ大変だ。例えば甲子園で優勝することを目指す。場合によればたった一球で優勝か、そうでないかの明暗がわかれる。一球(=限界生産物)への追加的コストがあまりにも割高だ。これは「非効率的」とも読み替えることができる。
僕もこういう完全主義はどうしても自分の生き方として採用できるところではなかった。なるべく煮詰まる前に逃げ出す、これが僕の生き方の基本であり、その意味で、本書の各所にあるアドバイスはかなり同意できる。
また完全主義は、社会自体もおかしくするだろう。それに「まじめ」にあるルールを守ったり、完全を目指すことが、非効率性(無駄)を発生させているってことは、実はそのルールを守ったり、完全を目指す人や組織は実はすごく「楽」をしている場合があるかもしれない。個人だとこの点がみえないけれども、本書でしばしばでてくる組織(そう日本銀行)などはその典型かもしれない。
完全を目指すことや、「まじめ」を行うことが社会的な無駄を発生させる(=失業だとか日銀の天下り先だとか)ことに、もっと意識的になろうよ、ということが本書から僕が読み取ったメッセージのひとつだ。
「「まじめの罠」にかかると、視野狭窄に陥ります。そして、まじめに努力すればするほど、多くの場合は間違った問題設定を解こうとして成果も出にくくなります。組織レベルでの戦略設定が間違っているにもかかわらず、そこで組織の方針に従ってがむしゃらに目標に向かって行動したらどうなるでしょうか。そのもっとも極端な事例は、近年の日本でいえばオウム真理教事件であり、世界の歴史でいえば、本書の冒頭でも触れたナチスによるホロコーストです。これは、組織レベルだけでなく。個人レベルでも根っこにある構造は同じです」(本書102頁)。
「すなわち、自分がまじめに努力するよりは、自分の努力が報われる環境選びや環境作りにより努力をすべきだというわけです」(104頁)。
もちろん個人レベルでこの環境選びや環境作りはとても困難が伴う。例えば、今日別エントリーで紹介した益田ミリ氏の『どうしても嫌いな人』はそんな体験をマンガにしたといえる。このマンガのすーちゃんの決断(嫌いな人から離れる選択=転職)は、不確実な決断だ(転職先にまた嫌いな人がいないともかぎらない)。僕はすーちゃんの不確実な決断を好ましく思っている。だってその方が真面目な罠でいきがつまるよりずっと精神衛生上いいと思うから。
だが不確実な選択と、確実にまじめな罠にはまる生活、そのどちらを選びべきか。人それぞれに思うところがあるだろうが、本書はその不確実な選択に挑む人に熱烈なエールを送るものとして貴重な貢献といえる。
「勝間和代食わず嫌い選手権」というものがあり*1、あなたがその参加メンバーだとしたら、まず最初に賞味する本の一冊といえるだろう。

- 作者: 勝間和代
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2011/10/18
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*1:amazoレビューで何人かで開催しているがw