災害の経済学と文化―小泉信三の転換―

 シノドスメールマガジンに四月に寄稿したものを再掲載。小泉信三は興味深い存在。

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 東北関東大震災の影響でさまざまな文化的事業やイベントが中止・延期になった。また最近では、石原慎太郎氏の発言にあるように、花見の自粛を要請するなどいわゆる歌舞音曲を「不謹慎」だとして制約する動きもある。他方で、さまざまな芸能人、アーチストたちの募金活動や支援イベントも連日のように報道されていいる。
 かって関東大震災のときに、当時慶応義塾の教授であった小泉信三は、被災した人たちの実態調査をすすめるかたわら、テニスや歌舞伎など文化的な行事に多くの精力を割いた。いまから10年以上前に、この震災当時の小泉の行動を知ったときに、被災調査よりも次第にテニスなどの文化活動に忙殺されていく小泉の姿勢を、僕は批判的に考えていた。しかしそれは早急すぎた判断だったかもしれない。被災された地域の人たちのためにも、経済は回り続けなければならないし、その中で文化的な経済活動は重要な位置をもつ。
 もちろん流通や生産の中で文化的な活動が重要性を持つだけではない。人々の生きる力、またはもう少し限定しても人々の厚生に好ましい影響を及ぼすだろう。小泉信三は、そもそもイギリスの経済学者スタンリー・ジェボンズの経済学から影響をうけ、「労働は苦痛」であるという観点からいくつかの論文を書いたのが彼の学者キャリアの始まりだった。「労働が苦痛」であるということの反面は、「余暇は快楽」である、という発想が帰結する。
 この当時の小泉は「労働は苦痛」であるから、労働をなるべく最少の犠牲として、最大の効果をあげるという、生産性に限定して自分の関心を磨いていた。当然に、反面では「余暇は快楽」という面の効率化が考慮されなければならないが、この論点は事実上忘却されていた。
 ところがこの小泉の考えに転換をもたらしたのが関東大震災であった。これは小泉のとって二段階の思想の転換を伴ったといえる。彼は震災当時、鎌倉に住居をかまえていいて、その地で被災してもいる。この被災を糧にして、彼はアーサー・セシル・ピグーの『厚生経済学』を読み出した、さらにピグー第一次世界大戦を背景にして書いた『戦争経済学』に読書はすすむ。そこには「災害経済学」(小泉の発言)の基礎的な観点があった。以下は小泉の「災害経済学」のエッセンスである。
 「罹災者のためには、価格の低廉を保障しながら、他の一方において利潤によって生産増加を刺激しようとするには、国家がその間に介入して、生産者の利潤の一部または全部を自ら負担するということも必要になって来るだろう。種々の形における補助金支給はそれである。わが政府も既に生活必需品並びに建築材料の輸入関税を免除するに決した。それは国家が関税収入の一部を放棄して罹災者のために必要材料の低廉を保障したものとも見ることができる。同軌の事は国内産物についても行われるかもしれない。課税免除が不十分だとすれば、積極的に補助金を交付することも或いは行われるかも知れない」(小泉信三「震災所見」『小泉信三全集第二巻』)。
 この国家の負担をファイナンスするのは、大きくふたつの方法がある、と小泉は指摘する。ひとつは「納税、募債、寄附」であり、もうひとつは「インフレーション」をおこすことである。
 「復興のためには政府及び私人は殆ど未曽有なる勤務、物品の購買を行わなければならなぬ。この購買が全部国民の一部の購買力を割いて、これを他の部分に移すという方法(納税、募債、寄附)によって行われることは最も望ましいが、事実においてその完全に行われることは期待することが出来ない。そこで必ず国民中の他の部分の購買力を削減すること(或いは十分削減すること)なくして、政府及び罹災者のために購買力を造り出すという方法が択ばれるだろう。即ちインフレエションである」(同上)。
 後者のインフレーションを起こすこと(いまでいうリフレーションである)には欠点もある、と小泉は指摘する。
 「しかしインフレエションは外国から必要材料を輸入することの已むべからざる今日において、わが邦人の対外購買力を減殺する大損がある。この為替相場の逆変を防ぐには如何なる方法を取るべきか。凡てこれ等の点においては欧州大戦の経験に学ぶべき多くのものがある」(同上)
 これだけ読むと小泉はインフレーション政策に否定的であるようだが、それは違う。彼は続けて以下のように書く。
 「しかし根本において戦費は直ちに富の滅失を意味しないのに、災害は有体財の破壊であるから、災害を処するには自ら戦争を遂行するのと別の処置を必要とする点が多かろう」(同上)。
 つまり有体財の即時の消滅を伴う災害、そして政府や罹災者の購買力の消失をふせぐには、戦争とも違う災害時でのインフレーション政策の効用が大きいという指摘であると僕は思う。
 これは今日の日本の教訓でも実に重要だ。日本は特に深刻なデフレーションが継続していて、災害に加えて、人々の購買力の損失は甚だしい。インフレーションで失うものよりも得るものが多いのは、おそらく関東大震災の比ではないだろう。
 ところでこの小泉の見解は、彼の経済学の師であった福田徳三から批判をこうむることになる。福田は、小泉の見解はあまりに有体財の損失だけに傾斜しているとする。福田は小泉と同じく被災者の実態調査を行い、それを日本で最初ともいうべき災害経済学の書『復興経済の原理及び若干問題』にまとめた。この本の中核にあるのは、物の損失よりも、被災した人々のこころの損失とでもいうべきものに多くの紙数を割いたことにある。
 福田は、小泉がこころの損失を軽視していると批判したのだ。これに対して、小泉は自らの非を率直に認めた。ここで小泉の思想的転換の二番目が訪れたと僕は理解している。では、このこころの損失をどう経済学の中に組み入れたのだろか? 実は小泉はそういう作業を経済学の外で実践したと思われる。それがテニスや歌舞伎、野球などさまざまなスポーツや文化活動への傾倒である。明らかに関東大震災以降、テニスを中心にしてその活動は公にも拡大していく。その活動のひとつの帰結として、(小泉信三が関与したいたとされる)天皇皇后の軽井沢でのテニスでも出会いもあるのだろう。あるいはさらに小泉自身の国家観との関連もみるべきかもしれない。だが、この側面の研究については他日にまわすことにしたい。
 小泉の「災害経済学」からの教訓は、今日きわめて重要ではないかと思う。リフレーション政策の採用の示唆ももちろんだが、災害のときでも国民の「こころの損失」をカバーするために経済学者は経済学そのものももちろんだが、文化活動などさまざまな経済学の「外」でも活動すべきではないか、というものだった。この教訓を何度も再考すべきではないだろうか。

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ちょっと備忘録代わりに以下、未読の本の情報を羅列。けっこう読んでないもの多いですね。

練習は不可能を可能にす

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父小泉信三を語る

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小泉信三 (日本人の知性)

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アルバム 小泉信三

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