新城カズマ「3.11の裡に(おいて)SFを読むということ」

 自分も書いている本とはいえ、依頼から締切までがかなり短く、ろくに準備もせずに突入したため、ほかの寄稿者の方々の原稿までとてもフォローする余力がなかった。いま『3.11の未来』をゆっくりを読んでいる。今日は、新城カズマ氏の論説を拝読した。昔のブログで何回も言及したが(残念ながらいまは読めない)、新城カズマ氏の著作は好きで、特に『サマー/タイム/トラベラー』は傑作だし、また『物語工学論』はすぐれたファンタジー論としても読める。僕の知人ではid:Baatarismさんが新城氏のコアなファンだ。また新城氏の作品にはいまあげたものもそうだが、経済的な観点が創作や論評の背景にどかんとあり、それが作品世界に深みをもたらしているのも特徴である。そしてその経済的観点はとてもセンスがいい。たぶん僕が経済学者でなくてもそのセンスのよさは読んだ人には伝わるはずだ。

 今回のこの論説にも経済的な視点が背景にある。たぶん予測の問題にかかわっているんだろうけど、「確率的な因果関係」というものがこの論説のテーマだ。僕たちは簡単にいうとまだうまく予測できない。なぜ予測できないかは、たぶん想像力、直観、そして予測を論理的に裏付けるモデルがそれぞれ不十分だからだ。

 新城氏の論説ではなんと注釈で、ケインズの一般理論の第三章を参照にすべきであると書かれている。第3章には、予測の問題についてケインズは以下のような趣旨を書いている(間宮陽介氏の訳を引用しようかと思ったけどやめて、山形浩生さんの要約を紹介する)。

http://cruel.org/econ/generaltheory/general03.html

Section III
•16. 総需要関数なんか無視していい、というのはリカード式経済学の教えだ。マルサスは、総需要が不足するかも、と述べたけれど、これをきちんと説明できなかった。だから総需要の謎はその後だれもとりあげず、マルクスやゲゼルやダグラスが触れているだけだ。


•17. なぜリカードの発想がここまで普及したかはよくわからん。現実に適用すると常識はずれな結論が出てくるので、「おれは馬鹿な世間にはわからんことがわかる」という虚栄心を満足させられるから、かもしれない。さらに、自由放任を主張することで、既存事業者に都合がよかったこともあるのかも。


•18. でも、普及はしたけれど、リカード派の理論は全然現実の役に立たないことがだんだんわかってきた。それなのに当の経済学者たちは平然としている。


•19. それと、古典派の描く世界は、ほっとけば世界は完璧、という人々の願望を正当化してくれるものだった、というのもあるのかもね。でも、それは現実の問題から目を背けているだけだ。

 つまり僕らのいま持っている将来を考えることができるすべての手段(直観、イメージ、モデル)は、「確率的な因果関係」を予測するのに必ずしも十分ではない。その中でも特にモデルは不十分すぎる。その不十分さをSF的想像力で補えるところまで補う(完全にできないけど)。それがSFの役割じゃないか、というのが新城氏の論説から僕が得たメッセージである。

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新城カズマ『物語工学論』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20091024#p1

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

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