真実一郎『サラリーマン漫画の戦後史』

 日本のサラリーマン物のひとつの型の起源を源氏鶏太のサラリーマン物(『三等重役』など)に求めて、その遺伝の血(源氏の血)が、日本のサラリーマン漫画にどのように継承され、また変容していったかを、その時代背景をだぶらせながら、非常に読みやすい文体で書かれた通史である。

 ここでいう源氏鶏太の遺伝子とは、本書の言葉を引用すると

源氏鶏太の小説は、基本的に単純明快な勧善懲悪が貫かれる。誠実な善人である主人公は報われ、主人公と敵対する卑怯な悪役は必ず失脚する」

 というものだ。

 さらに源氏の血では、仕事の中身やその成果が、主人公の命運を決めるものではない。主人公の人生を左右するのは、登場人物たちの「人柄」である。

「人柄がよければ、上司と女の後ろ盾を得ることができて、ドンドン出世出来る。人柄が良ければ、派閥に入らなくても誰かがちゃんと評価してくれる。人柄が良ければ、バーやクラブでママに好かれ、貴重な企業情報が入ってくる。仕事の成果よりも人柄がものをいう過剰な<人柄主義>が、源氏鶏太作品の大きな特徴だ」

また源氏の血では、企業を家族としてとらえることも特徴だという。

 この源氏の遺伝子を最も継承しているのが、すでに連載20数年に及ぶ島耕作シリーズだ。本書はこの源氏の遺伝子の正統的な継承者である島耕作の漫画をひとつの標準として、それ以後のサラリーマン漫画がどのように時代の変遷とともに変化してきたかが、実に読みやすく書かれていて面白い。

 例えばバブルへの対抗軸として生まれた『宮本から君へ』。僕もこの漫画は暑苦しさの中で(笑 読んだ記憶があり、当時は好き嫌いがまっぷたつにわかれる怪作であった。しかしいま読み返すと一種のノスタルジックなものを味わう。もうこのように時代と格闘する漫画は生まれないような気さえしてしまう。

 実際に本書では、この『宮本から君へ』の意識的な後継者である花沢健吾の『ボーイズ・オン・ザ・ラン』が、意図はともかく時代の流れの中で決定的に変容してしまったことを指摘している。

 「つまり、『宮本から君へ』と同じ物語構造をもちながら、非モテとしての抑圧が原動力となっているために、仮想的がバブル(世間)からリア充(モテ)へと矮小化し、「仕事」よりも「性愛」に物語の重心が大きくシフトしているのだ」

 『宮本から君へ』は、世間=バブルの象徴であった島耕作シリーズへのアンチテーゼであったが、その『宮本から君へ』の後継者たらんと意欲した花沢の作品は、まったく異なる矮小化した世界にシフトしたというわけである。

 この矮小化の行く末と、また島耕作シリーズの継続にみられバブルの残骸は、どのように今後のサラリーマン漫画に反映されていくのだろうか。日本の漫画の重要な核でありながら、いままでほとんど考察されてこなかったサラリーマン漫画の通史として長く愛読されるだろう。

サラリーマン漫画の戦後史 (新書y)

サラリーマン漫画の戦後史 (新書y)