橋本治vs山形浩生「大不況は自分の頭で考える」『atプラス』四号

 御本頂戴しました。ありがとうございます。

 本号の特集は「エコノミストはなぜ経済成長の夢を見るのか」です。特集の前ふりに僕の論説も利用されてて(笑 あたかも無自覚なw 経済成長論者のようです。ちなみに『沈黙と抵抗』とか福田徳三論とかの“本業”をご存じないのでそんなことになってしまうのかなあ(偏差値40は別ベクトルでの問題提示ですが)、と残念には思っておりますのよ、オホホホ(と橋本、山形両人に影響されたようでして 笑。

 さて巻頭の橋本・山形対談のテーマを僕なりにひとことでいえば、「感情や(屁)理屈は、理論を超えることができるのか」とでもいう問題意識を、橋本氏がもっているように読めることです。リーマンショック以降の世界は、橋本流の経済論ー景気のいいのをやめてみる発想ーが、端的に実現された状態でして、その状態で、いまや橋本流に人々は内省しているというわけです。

 橋本氏によると人間というのは必要以上にものを消費したり金もうけにはしったりあとはいろいろ欲望に歯止めがかからない恐ろしいものです。この恐ろしさを経済もそしてエコノミストも現実化していこうと無反省に爆走しておりました(過去形)。誰も好況をやめようと思わない恐ろしい世界です。なぜ恐ろしいかというと、橋本さんは目の前に、100円と99円が出されてどちらか好きな方をとっていいよ、といわれれば、怖くて(あるいは「母親」にあとで怒られるので)両方とらない、そんな人だからです。そんな人は、怖いことをしている人たちとそれにつられている人たちに、「そんな99円よりも100円をえらぶことばかりしてるとあとで母親におこられるよ」ということを教えてくれます。

 理論ならぬ理屈で、考えてみますと、少なくとも99円よりも母親に怒られることが上回ることで、橋本さん的な人はそういう選択を面倒なのでやめたことになります。単純な利得<損失というわけでも橋本氏の言い方はなさそうです。母親の怒りは個々の損得計算ではなく、もっと人生全般にかかわるものじゃないか、と僕は橋本氏の話を聞いてて思うのです。簡単にいうと目先の利益に誤魔化されるなとか、お金より大切なものがあるとか、そういうものです。これはしばしば人生のいろんな局面で、脳裏にうかぶ「理屈」であります*1

 見方をかえれば、人生には母親のような怒ってくれる人、あるいは(目先の金にめがくらんで)バカバカしょうがないねこの子は、といいながらも、全面的に愛してくれる人が、社会的に必要である、ということを、橋本氏はいいたいのかもしれません。それをへんてこな形でしているのが、橋本氏のいままでの業績なのかもしれません(わからんけど)。

atプラス 04

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*1:もちろん目先の利益に誤魔化されるな、や、お金より大切なものがある、とかは経済学でも「理論化」できますし、それは山形さんも『アニマルスピリット』を出して説明していますね。さすが天才橋本氏です。この100円と99円の設例などはカーネマン的な行動経済学ワールドを想起させます