片岡剛士「失われた20年」

 先日、一部分を掲載した小冊子「機」に掲載された、片岡さんの処女作『日本の「失われた20年」』についてのエッセイ全文です。

日本の失われた20年 デフレを超える経済政策に向けて

日本の失われた20年 デフレを超える経済政策に向けて

日本の「失われた20年」

世界同時不況と日本経済
 1929年の世界大恐慌から80年が経過した世界経済は、再び「世界同時不況」というべき世界的な実体経済の悪化を経験した。それは、米国サブプライム住宅ローンの焦げ付きに端を発し、2008年9月のリーマン・ショックを経て世界中に飛び火したことで生じた。サブプライムローン危機が発生した当初は、日本への影響は軽微であり、米国経済の停滞が世界経済に及ぶ可能性は限定的であろうというデカップリング論も指摘されていた。
だがこのような楽観的な予想を裏切りつつ、実体経済の悪化は進んだ。急激に進んだ円高・株安、輸出の減少は国内生産を直撃し、2008年10月から2009年1月にかけて生産は3割強の落ち込みという、戦後の日本が経験した中で最も急速かつ深刻な経済停滞が生じたのである。

「失われた20年」という視点
 なぜこのような状況が生じてしまったのだろうか。理由として挙げられるのは、2002年以降の日本経済の好況が輸出に支えられており、重要な輸出先である米国及び欧州諸国の需要が急速に低迷したというものだろう。
 しかしこの「理由」は、なぜその好況が輸出によって支えられていたのか、言い換えれば、なぜ「いざなぎ景気越え」を果たした長期の景気回復が、内需の力強い増加という形で人々に景気回復の恩恵を十分に行き渡らせることにつながらず、非正規雇用の増加や所得格差の拡大、そして累積する財政赤字といった問題点を孕みつつ「実感の無い」形で推移したのか、という「疑問」に対する答えにはなっていない。
 「疑問」に答えるためには、1990年代の長期停滞はなぜ生じ、2002年以降の景気回復がどのような経緯を辿って生じたのかを明らかにする必要がある。そして統計資料を観察すると、2002年以降も1990年代の長期停滞を克服できなかった現実が明らかになる。つまり、長期停滞は未だ終わっておらず、日経平均株価が最高値を付けた1989年12月末から数えて20年が経過した日本経済は「失われた20年」を経験したと言えるのである。

日本の経済政策の「失われた20年 」
 「失われた20年」に終始一貫して影響を及ぼしているものは何か。それは物価上昇率の停滞であり、1990年代後半以降生じているデフレである。デフレは消費や投資といった内需の停滞につながり、雇用環境を悪化させ、更に為替を通じて輸出にも影響する。デフレが持続しているのは、1990年代後半以降の日本の経済政策がデフレ脱却に失敗しているためである。確かに2001年に日本銀行量的緩和政策を導入し、2003年から2004年にかけて財務省が行った円売りドル買い介入が基点となって、日本経済は回復へと転じた。しかしこれは、デフレからの完全回復を伴っておらず、先に述べた「実感の無い」景気回復をもたらして現在の深刻な不況へとつながっていく。そして未だ日本の経済政策はデフレの払拭に正面から取り組んでいない。
 一方、世界金融危機震源地であった米国は、日本の失敗の経験を生かして急速かつ深刻な信用危機を沈静化し、将来デフレが続くとの予想を払拭して、資産価格や実体経済の回復という形で着実に景気回復への道を歩んでいる。紆余曲折はあるだろうが、米国が日本と同じ道を辿る可能性は低い。新たな10年の始まりを迎えた段階において日本経済に求められているのは、デフレを超える経済政策を策定し、実行することに尽きるのではないか。
 眼前に広がっているように見える「陰鬱な未来」を払拭するには、経済政策の「失われた20年」から脱却することが必要なのである。