岩田規久男「中央銀行の体をなしてない」

12月2日の朝日新聞朝刊に岩田先生が今回の日銀の政策変更についてコメントを寄せていた。数日を経たが、最近の岩田先生の日本銀行への評価がわかるので紹介していく。

中央銀の体なさない(朝日新聞12月2日朝刊コメント)

「今回の政策変更は、日銀が理念も信念も持っていないことを示してしまった。ついこの前まで「物価下落は問題ではない」「(物価下落が需要減少を通じてさらなる物価下落を招く)デフレスパイラルに陥る心配はない」と言っていたのは何だったのか。政府に言われたから仕方がなくという姿勢が見える。これでは中央銀行としての体をなさない。市場の信頼を失うおそれもある」。

 このような日本銀行の政治や世論の変化をみての政策変更はすでにこのブログでも指摘した。また最近では須田美矢子審議委員も露骨なまでに世論の動向がその政策変更に影響を与えたと言及している。もちろん須田氏はそれを悪い意味でいっていて、事実上、日銀政策を批判するから政策がこのように節操無く変更されたといいたいのだろう。しかしそれこそ議論のすり替えである。自らが責任ある職務において市場、世論の信任を得るような政策に失敗してきたからの証左だろう。それを世論からの批判の責任に転嫁するとは、まったくどこまでこの「日銀貴族」たちの心性は腐りきっているのか、底無である。それゆえ過去の10数年にわたる実質的なデフレ状態(簡単にいうと国民の所得が伸びないこと)の責任をとるなどとはこれら「日銀貴族」の心性には遠いものだろう。

 「日銀まず過去の政策の失敗を認め執行部を全員入れ替えるぐらいの姿勢を示すべきだ。その上で、物価上昇率の目標を2〜3%に設定し、誘導する新政策を打ち出すことだ。日銀はすぐに「資金需要がない」と言うが、資金需要が出るように持っていくのが金融政策ではないか」。

 ところで自力で日銀が過去の反省や執行部の入れ替えをする可能性は少ないのではないか、という疑念がある。それゆえ、むしろ日本銀行法を改正する過程で、この組織のガバナンスを含めての改革が必要ではないか、という思いが強い。

 岩田先生の最後にも示唆されているように、彼らの現在の固定金利で長めの金利操作をして市場に資金供給という「新」案も、僕からみれば、「資金需要がない」という理屈の延長上の政策スキームでしかないと思う。いいかえると固定金利で資金需要に応じて資金供給を行うというものである。もちろん政策の初期段階では結果として大量の資金供給が行われるので、現在目にしているような円安、株高など金融政策に対して即応しやすい資産価格が好転している。また将来的にも実体経済に少ないながらも影響を及ぼす可能性を否定できない。

 だが、いずれにせよこの効果は限定的だろう。これは英『エコノミスト』誌http://www.economist.com/displayStory.cfm?story_id=15006516がすでに指摘しているが、10兆円が資金供給されたとしてもたかだか日本のGDPの2%ほどにしかすぎない。現在の需要不足の規模に比較しても不十分であろう。また日銀がわずかばかりの景気の好転をみて、この「新資金供給方式」をやめることになる可能性が大きい。なぜならそもそもこの日銀流理論の応用である「新資金供給」とは、日銀が自由に「資金需要」の多寡を判断し、それが潜在的に増加する(あるいは増加させなければならなくても)その余地を過小評価ないし無視して、融通無碍に政策を行うことが可能なスキームだからだ。

 言いかえればデフレ偏向的な日銀の政策態度とあくまでも親和的であり、またなおかつ政治や世論の圧力によっていかようにも変化できる政策スキームである。

 白川総裁は記者会見で量的緩和の効果についての論争の帰結を待つわけにはいかなかった、と意味不明のことをいったようだが、少なくとも日本銀行の政策についてはすでに国際的には(日本の日銀応援団は知らないが)定評がある。そして今回も同じだ。

 Too little,Too Late