国民経済よりも政府へのけん制重視な日本銀行?

昨年度の消費者物価指数が過去最大の下げ幅であったという記事はいまさらながら日本のデフレの深刻さを印象づけたろう。しかしそれは拙著『デフレ不況 日本銀行の大罪』や岩田先生の『日本銀行は信用できるか』、高橋洋一さんの『この金融政策が日本経済を救う』を読めば明瞭なように、日本銀行が事実上準備し、そしてリーマンショックに先進国では異例なほど「なにもしなかった」ことの反映にすぎない。当然の帰結である。

ところで昨年の12月からわが国の中央銀行の迷走ぶりは深刻な度合いを増してきた。ともかく政治的な圧力があれば、日本銀行の解決策は、1)首相とのトップ会談の設定、2)市場への相変わらずのリーク、3)外国やテレビで総裁自身が、なんの客観性もない(先進国の中でただひとつデフレなのに)インフレ目標を越えた政策などと自慢する、という正直、怒ってるのだか、日銀自体が迷走しているのだかわからない展開になっていた。

そして今回は「構造問題」に手を突っ込むとロイターで論評されている間接的な産業政策への支援を行うようである。ここでこの政策の注意点はもろに政府へのけん制がキ―だということだ。いわば「日本銀行への批判勢力」があるとして、それらが執拗に政府と日本銀行の協調、ありていにいえば日銀に資金を出してもらい(=長期国債引き受けなど)、財政的余剰を拡大させるという主張へのけん制である。

この民間銀行が成長部門に融資する際に資金提供を行うということは、要するに政府とのままいわれている「協調」「アコード」を否定し、日銀自身の裁量でそのような「財政政策」を担うという判断であろう。経済的効果よりもここは日銀の政治的効果重視の姿勢を見たいと僕は思う。

ところで望ましい成長が期待できる産業がなぜ日本銀行に判断できるのかはとりあえず置いておこう。またこれは旧来の優良株の買い取りとほぼイコールな政策スタンスであり、別にロイターが論評するように、「構造問題」に初めて手を突っ込んだというのでもないだろう。ここでは別な点を指摘したい。もし単に「財政政策」を通じて貨幣を市場により潤沢に供給したいのだということならば、ケインジアン的な(笑)中央銀行として生温かくその実績を見守ってあげないでもない(笑 

もしそのような積極的な「財政政策」の肩代わりを望むのであるならば、従来の日本銀行法では不十分であろう。雇用の最大化を求めるとか、より政府との連動を重視し、そのガバナンスが政府機能の代替・補完であることを強調するような形で、法律を見直すことが今後重要になるだろう。なぜならば明確な政府機能の肩代わりを、政府との公的な協議(いまあるのは数カ月に一度の非公式な話し合いの場=談合の場でしかない)や承認のないまま行うのはあまりにリスキーだからだ。早急に政府の日本銀行法の改正が求められる。融資判断のミスが成長部門への資金の流れをかえって歪ませたり、あるいは成長部門といいながら実は衰退部門に融資したり、日本銀行が第二の郵貯化したらたまらないだろう(まあ、この政策が根源的に金融庁にむけての牽制でもある意味だが……。そのためにも日銀の「天下り」、各支店網や土地財産などのムダの整備、広範な学者たちへの謝金ばらまき体質、また給与体系の見直しなどの「仕分け」が、通常の特殊法人並みに厳格になされる必要もでてくるだろう。

日本銀行の今回の判断は、従来の独善的な独立性の解釈を放棄し、望ましい制度設計を議論する本格的なきっかけになるのではないか。と書いたら日本銀行の中の人たちは驚くかもしれないが 笑。

日本銀行は信用できるか (講談社現代新書)

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